創造ネット計画概論 …… ①

 

 

スタート時点に於ける業務内容について

突然ですが、今回から文体を「……だ。……である。」調から
「……です。……ます。」調に変えます。

今後のお話には、この文体の方が似合っている思いますので、………。
 

 
さて、
現在の私が考えているのは地元の中小企業を顧客としたホームページの作成と運用を請け負うWEB事業です。

ハローワークで企業の就職情報を検索しまくっている時に多数の中小企業が発信している多数のホームページと出会い、これ以上のページを自分なら作る事ができる、………と感じました。
 

決め手になったのは2人規模で運営しているWEB業者の求人案件です。

募集の内容を詳しく分析すると、募集している企業の過去の実績や、現在どういう経営状態にあって、どういう将来を考えていて、どういう人材を必要としているのか、………等といった事情がかなり詳細に見えてきます。

このWEB業者に関して申し上げるなら
………これなら自分のほうが上だな、………と感じました。
 

もちろん、ホームページ作成の技術面では先方が遥かに上回っているに決まっていますが、

ホームページを作成し運営していく上で必須の発想を含めた総合的な能力という点から考えた場合には私の方が上位にいる、と感じた訳です。
 

この頃からのことです。
職探しに対する私の無意識的な姿勢が変化し始めたのは………。
 

何故か何となく
面接の目的が目の前の職を得る事にではなく、企業の経営責任者の方々への自己アピールへと徐々に変化していったのです。
 

その為に、このブログを可能な限り有効活用する事にして、

はじめにお読み下さい」を始めとした各記事の内容を面接する企業の経営責任者の方々向けに手直ししたりしました。

面接の時には必ず「souzou.net」で検索して、このブログを見て頂けるように、お願いしました。
 

 
ただし、
上記した私の姿勢の変化は飽くまでも無意識レベルの変化であって、意識の上では通常の意味での職探しを続けていた訳で、………

だからこそ、3つの面接全てに失敗し、電話での問い合わせ等から73歳という年齢の限界を思い知らされた時に自殺を覚悟せざるをえなくなった訳です。
 

 
その「自死の事後処理の相談」の為に弟と妹に会った後、

それまで無意識下にあったWEB事業に対する夢のような淡い希望が明確な意志へと変化し始めたのは私自身にとっても思いがけない心の動きでした。
 

 
妹は既に離婚しているのですが、一緒に暮らしている妹の息子の父親は私が考えていたWEB事業を始めるのに最適な企業(電気工事店)の経営者で、妹の息子(ハルMusic学科卒)は跡取りとして現在修行中……という状態です。
 

妹の息子と彼の父親に対する事業構想の提案。

その事も心の片隅にあって妹にカウンセリングを提案した訳なのですが、………

その思い付きが徐々に変化して現在のWEB事業構想が現実的な形を現してきた、……というような次第です。
 

 
考えに考え抜いた末に私が辿り着いたWEB事業構想は「創造ネット計画」と不離一体の関係にあります。

………この点につきましては、今後のプレゼンテーションで少しずつ詳しい説明を展開していくつもりなのですが、………

今のところは深入りせずに
私が考えているWEB事業構想は「創造ネット計画」とは不離一体の関係にある、……という事をお伝えするに留めておきたいと思います。
 

 

ところで、
ホームページの製造原価は驚くほど低廉です。

例えば、現在このブログを運営しているサーバーの使用料金は1年で2,468円。

これで、このブログの10倍以上の記事を持っていても1日に百アクセス程度までのサイトなら運営可能なはずです。
 

ちなみに、
「souzou.net」というドメインの使用料金は1年契約で 1,080円。
 

以上の料金設定は例外的な安さがウリの業者のものなので、或る程度の技術力を持ったアマチュア達が趣味や実験としてホームページを運営しているケースが大部分だとは思いますが、………
 

業務用だったらこちら

一番安価なサーバーなら契約初期時の支払いが1年分で2万円弱、その後の維持費は1年に1万6千円。

ドメインの使用料金は1年契約で1,600円程度。

………これで私がWEB事業の顧客として考えている事業者向けホームページ用のサーバーとして十分以上に使えます。
 

 
私は先日、このサーバーに新しいドメインのサイトを開設しました。

費用は初期設定料金を含めて3か月分で1万円弱。

…妹が支払ったカウンセリング料金の中には、この1万円弱のサイト開設費も含まれています。
 

妹の承諾を得る事ができたら
このサイトで妹の趣味である人形や手芸やアートフラワー等の実験的な展示販売を試みるつもりです。

私が考えているWEB事業の
最初の投資者であり顧客でもある妹の注文を承り、
妹と相談しながら、
仕立て屋感覚で彼女専用のインターネットショップを構築し運営していこうと思っています。
 

少々傲慢な言い方をお許し頂きたいのですが、………

そうした共同作業を通じて
妹の中に秘められているはずの様々な可能性を引き出し、開花させる事ができたら、………と考えています。
 

 
ホームページやブログを作成するパソコンはこちら
 
接続している光インターネット回線の利用料金は月に6千円弱。

こんな程度の資金でWEB事業を始める事ができます。………サイトの設立と運営に対する明確なビジョンと或る程度以上のノウハウさえ持っていれば。
 

 

インターネット初期の頃は事業用ホームページの作成と運営は高度な技術力を持っている専門業者の独壇場でした。

しかし、
現在ではお決まりの過当競争の時代に入っていて、古き良き時代のホームページの作成と運営のノウハウや技術では商売ができなくなるところまで来ています。

それでも初期の頃に多くの顧客を獲得している地方の零細業者は現在でも何とかやっていけているようで、

私がハローワークの求人情報で発見した募集案件も、そういうWEB業者から発せられたものだ、と推察できます。
 

 

……………………… 以上 ………………………………

ここまでの部分で私がお伝えしたかった事柄を以下の3点に纏めてみます。
 
 
① …… 「創造ネット計画」をスタートさせる事業として私が考えているのは「地元の中小企業を顧客としたホームページの作成と運用を請け負うWEB事業」である。

② …… 上記した意味でのWEB事業は極めて低額の資金で始めることができ、やりかたによっては直ちに非常な高収益が期待できる有望な事業である。

③ …… このWEB事業は「創造ネット計画」と不離一体の関係にあり、その事によってのみ非常な高収益が期待できる有望な事業となり得る。
 

 

前回の記事で私は敢えて上述したWEB事業を除外して「創造ネット計画」の説明を試みた訳ですが、………

それは「創造ネット計画」が単にお金を儲ける為だけの計画ではない事を、皆さんに先ず了解しておいて頂きたかったからです。
 

究極的には日本の未来を切り開く事に「創造ネット計画」の真の目的があります。

その可能性、
つまり、この計画が日本の未来を実際に切り開く力を持っているのだ、という事を投資する人々が心の底から納得できた時、「創造ネット計画」は本当の意味での実力を発揮し始めるはずです。
 

 

再び

……………………… 以上 ………………………………

時期尚早の感 無きにしも非ず、………ですが、………

ここまでに申し上げた事を前提として
前回お話した「創造ネット計画」に対する投資、或いは支払い、又は援助に関するルールと、それを設定した理由、……この2点について説明させて頂きます。
 

 
私は前回、次のような提案……と言うよりお願いを致しました。
 

先週の19日(木曜日)、
妹にカウンセリングを提案した時と同じ意味に於いて

今の私は読者諸氏に対して「創造ネット計画」を提案したい。

未来的、実験的ではあるけれど非常に現実的かつ具体的な事業計画である「創造ネット計画」への投資をお願いしたい。

いや、
現段階に於いては投資としてではなく
面白い遊び、或いはゲームに対する代価の支払いという意味で、でも構わない。

困窮してる私の経済状態に対する援助という意味で、でも構わない。

しかし、
それらの「支払い」や「援助」は最終的に「創造ネット計画」への投資に結びついていかなければ私にとって本当の意味は持ち得ない。

それらの「支払い」や「援助」を行っている人々の動機を最終的に「創造ネット計画」への投資に結びつけていく事が、その場合に於ける私の仕事になる、と考えている。

投資、或いは代価の支払い、或いは援助、に関するルールは次回の記事から展開していく予定のプレゼンテーションの冒頭でお示ししようと考えている。

 

私あるいは「創造ネット計画」に投資・支払い・援助をしてみよう、……とお考えの方は下記のアドレスにメールして下さい。

premium@souzou.net

文面は

「創造ネット計画」に ・・・円を投資します。
・・年・・月・・日
住所
氏名

として下さい。
 

…住所・氏名の部分は匿名・ペンネームだけでも結構です。

メールを頂いた方には折り返し私の住所氏名と郵貯口座の番号をお伝えするメールを送信致します。

送金して頂いた事を確認したら、メールでその方の投資会員としてのIDとナンバーをお知らせします。

私の方では送金して頂いた方全てを投資会員として
投資会員毎に会員名・会員ID・および会員ナンバーと投資金額を台帳に記録します。

匿名・ペンネームの方は、とりあえずその匿名・ペンネームで記録しておきます。
 

 

………………………………………………………

ここから先は、今後の成り行き次第…と申し上げる他はないのですが、………
 

お寄せ頂いた投資資金の総額はブログの記事として皆様にお知らせします。

もしも
資金が全く集まらない、合計金額が少なすぎる、………というような場合には

今後の私の生活そのものが成り立たなくなるので

今月の20日頃までに、このブログ全ての記事を削除して「閉店」いたします。

送金して頂いた方へは、その旨を予め御連絡した上で返金致します。
 

逆に
投資総額が或る程度を超え
「創造ネット計画」の実現が可能だという見通しがついた場合には

「創造ネット計画」専用の銀行口座を設け、
お送り頂いた投資資金は全てその口座に入金して近い将来の株式会社設立に備えます。
 

当分の間、お送り頂いた投資資金は私の生活費として流用せざるを得ませんが、

その金額は「創造ネット計画(株)」仮称…からの借入金として私個人の会計に記録しておき、後ほど清算致します。
 

「創造ネット計画(株)」仮称…と私の関係は勤務先と従業員という形になります。
 

今のところ私が望んでいる給与は月に15万円程度です。

その給与支払いに
「創造ネット計画(株)」仮称…が耐えられるようになるのは何時頃になるのか、今の段階ではちょっと予想できません。

既にお話したWEB事業の顧客を獲得する事が出来て、そちらからの収益を見込めるようになれば「創造ネット計画(株)」仮称…は意外に早く採算の合う事業体に成長するかも知れませんが、………

……全ては今のところ只一人の社員である私の努力次第、……と申し上げるしかありません。
 

 
尚、
これは当然の事ですが、
「創造ネット計画」に関する全ての会計処理は会員の方々に対して完全にガラス張りの形で公開します。

「創造ネット計画」の運営方針は
このブログ上での議論を始めとした会員の方々の衆議の結果に従うものとします。

現在ではインターネット上での会議や議決には様々な便利な手段が開発され提供されているので、それ等を活用すれば新しい形での民主主義的な企業運営は十分に可能なはずだ、と私は考えています。
 

 
もう一度

……………………… 以上 ………………………………

時期尚早の感 無きにしも非ず、………ですが、………

それにも関わらず
「創造ネット計画」に対する投資、或いは代価の支払い、或いは援助、に関するルールを御説明したのは

この説明それ自体が「創造ネット計画」のプレゼンテーションの初期段階に必須の事項だと判断したからに他なりません。

ここまでの説明を「創造ネット計画概論 …… ① 」という事にさせて頂いて、今回のプレゼンテーションを終了致します。
 

 

付記 …… ①

今回お話した事、特に投資に関するルール以降の部分は現時点で私が考えている案に過ぎません。

この案に疑問や問題を感じた方がいらっしゃったら御指摘いただけると有難いです。
 

それ以外にもブログ内の全てに記事に対する御意見をお待ちしています。

私の記事はリンクを多用しているのでリンク切れの可能性もあると思います。この点につきましても御指摘頂けたら、………と存じます。
 

御意見・御指摘は
前述のアドレス「premium@souzou.net」にメールして頂くか
又は、ブログ内の記事に対するコメントとして投稿頂いても結構です。

いや、
メールよりもコメントの方が気楽だし便利かもしれません。

ブログ内の、どの記事に対してコメントなさってもブログのシステムから私(ブログの管理人)宛のメールが自動的に届くので見逃すことはありません。
 

コメントがあった場所や内容は私(ブログの管理人)にしか分からないようになっています。

投稿頂いたコメントは私(ブログの管理人)が承認するまでブログ欄には表示されません。

コメントとして表示される事を望まない方は、冒頭に「非表示希望」と記述して頂けば、そのように対応させて頂きます。
 

 
最後にもうひとつ。

今後もしも「創造ネット計画」が存続し発展できる見通しが生じた場合の話……なんですけれど、………

その時に
このブログを共同で執筆して下さる方がいらっしゃると有難い、……と思っています。
 

以前から私は、このブログを新聞とか週刊誌とか月刊誌のような形へと発展させる事ができたらいいな、……と考えていました。
 

私の文章には独特の癖があります。
何を書いても哲学っぽくなってしまうのです。

それが良い場合もありますけれど、……そんな理屈ばかりの文章は大嫌いだ、という方も世の中には大勢いらっしゃいます。

記事の内容にしても、私が得意とする分野は限られています。当然の事ながら苦手な分野の方が多いです。
 

………というような次第でして、………
 

日替わり、とか週替わり、とか……

分野別という事で地域のニュース、とか芸能スポーツ、とか………
このブログ内で役割を分担して執筆して頂くのもアリですし、

別のブログとのコラボレーションという形も面白いかな、………と考えていたりします。

コラボのコンセプトとしては「日本の未来を考える」……なんかを「考え」ているんですけど、………

ちょっとオーバーで理屈っぽ過ぎるかもしれません。
 

 
いずれにせよ、
今後もしも「創造ネット計画」が存続し発展できる見通しが生じた場合、その件につきましても御協力いただけると非常に有難いと思っています。
 

 
更に先の事を申し上げるなら、
私としましては近い将来、このブログ執筆の一線から離れて編集者の立場に身をおけたら、………と考えています。
 

当面の事だけ考えてみても、
「創造ネット計画」を軌道に乗せる為には顧客企業様HPの企画・作成や新規顧客開拓の為の営業等、WEB事業への注力が必要不可欠です。

最初の内は、それらの活動に関する試行錯誤が記事のネタになるはずですが、……

試行錯誤が完了してWEB関連の仕事の全体が一定の作業パターンとして完成した後は、私的には記事のネタがなくなる訳ですし、更に先の事業展開の準備を開始しなければならなくなる、という事情も発生します。
 

 
………………………………………………………
 

………というような次第で、

私としましては、
もしも万一、
「創造ネット計画」が本格的に全国展開を開始するような事になった場合に備えて

現在の私が行っている作業を引き継いで下さる方を早い段階で「育成」しておく必要を強く感じている、………というのが正直なところです。
 

 
………等と、
敢えて非常に思い上がった傲慢な言い方をさせて頂きましたけれど、………。

なにしろ先の先まで考えないと気がすまない性分なんですよね、………私も。

そんな思いもあって、今の時点から共同執筆者の方の参加を是非ともお願いすべきだ、と考えております。
 

 
………以上
このブログ関係のお願いを追加してみました。

よろしくお願い致します。
 

 

付記 …… ②

上記の記事を書き終えてから、私の心に或る疑問が湧き起こってきました。

その疑問を突き詰めていくと「信用」或いは「信頼」……という2つの言葉に行き着きます。
 

 
今回の記事で私が言っている事、
特に ……「『創造ネット計画』に対する投資」の部分で申し上げている金銭関係の約束」を …… 皆さんは信じていらっしゃるでしょうか?

その意味で私という人間を信頼できる ……と 感じていらっしゃるでしょうか?
 

信じられない、信頼できない、……と 思っていらっしゃるとしたら、それは何故なのでしょう?

信じられる、信頼できる、……と 感じていらっしゃるとしたら、それは何故なのでしょう?
 

 
人が人を信じる、人が人を信頼する…… という事は、どういう事なのでしょう?
 

…… こういった疑問についてインターネット上の情報を調べてみて次の記事を発見しました。


「信用」と「信頼」の違いをご存知ですか?

 

この種の疑問に関する幾つかの「科学的・哲学的な考察」を紹介している記事を以下に「御紹介」します。


社会学・社会心理学・心理学における信頼

 

この辺りの疑問および、この疑問に関する考察は「創造ネット計画」の本質とも深く関わっている疑問であり考察ですので、………

次回のプレゼンテーションでは、「信用」と「信頼」について可能な限り分かりやすく面白い記事として御説明させて頂きたいと思っています。

その説明を出発点として、今後の「創造ネット計画」の事業展開について具体的にお話しを進める事ができたら、……と考えております。
 

 

………background music………

スウィング・ジャズの代表曲「シング・シング・シング」
解説ページ

原信夫とシャープス&フラッツが演奏する
★ シング・シング・シング(動画) ★

サイレント映画の背景に流れている
★ シング・シング・シング(動画) ★

ベニー・グッドマン楽団★ 東京公演(動画) ★

 

ジーンクルーパーのドラムソロについて
(ウィキペディアより引用)
ベニー・グッドマン楽団で数々の名演を残すが、
中でもシング・シング・シングでの黒人が叩いているような
プリミティブでアフリカ的な激しいドラムソロは、
ジャズにおけるこれまでのドラムの位置づけを覆す一大センセーションを巻き起こした。
そして、それまで伴奏楽器としての扱いに過ぎなかったドラムをフロントのスター楽器に押し上げ、
ソロ楽器として確立させることに多大な貢献をした。
★ ジーンクルーパーの紹介と彼が主役のシング・シング・シング (動画) ★
ベニー・グッドマン楽団(ジーンクルーパーがドラムパートを務めていた頃)の演奏で★ シング・シング・シング (動画) ★
ジーンクルーパーVSバディ・リッチVSサミー・デイヴィスJr★ ドラムバトル(動画) ★

 

ジャズの源流の地と目されているニジェール川上流地方
アフリカ・ギニア共和国・カンカン県・バロ村
の様子を撮影した有名な動画の紹介記事
上記でリンクしたページからの引用
「生活はリズムと共にある。リズムは止むことはない。Foli はマリンケ族の言葉でリズムを意味する。Foli は、踊りや太鼓の中にある音楽のリズムよりも遙かに大きな意味を持つ。」
「それは、バロの日常生活すべての場面に存在する。このフィルムを通して、あなたはリズムを見ることができる。このフィルムは、単なる映像と音の組み合わせではない、そこにはリズムの大切さを思い出す何かがある。」
★ 子供たちの遊びから祭りのクライマックスまで ★
★ 子供たちの踊り ★
★ 動画全体(10分50秒) ★

 

 

創造ネット計画概論 …… 序説

 
先週の17日(火曜日)から20日(土曜日)までの日々は私にとって命を賭けた4日間だった。

提案を巡る妹との交渉は困難を極めたけれど、自分が出来る限り説得の努力を続けた。

努力の結果に対する拘りは全くなかった。
文字通り「御心のままに」……という気持ちで妹の決断を待った。
 

私の説得力などは高が知れている。
それよりも妹の人柄によるところが大きいとは思うが、………

幸いにも20日(金曜日)に彼女の承諾を得る事が出来た事の意味は語りつくせないほど重大だ。

………当然だろう、
妹が7万円を出してくれなかったら遅くとも今週の25日(木曜日)に私が死出の旅路へと出発する事は確実だったのだから………。
 

 
だがしかし、………
………こんな事を言うと妹に怒られてしまうかもしれないけれど、………

妹の承諾以前に
あの4日間の「命を賭けた説得の努力」という体験それ自体が私にとって別の意味で語りつくせないほど重大な意味を持っている。

いや、それだけではない。
昨年末からの約1ヵ月間に渡る絶対的弱者としての社会的経験全体の重みを今の私はしみじみと感じている。

過去数十年に渡る自分の生き方の問題点を根本的なところから問いただされ続けた1ヵ月だった。

妹との厳しい交渉を続けていた4日間は、その経験のクライマックスに他ならない。
 

 
優しさ、同情、厳しさ、冷淡さ、無関心、………様々な人々の様々な反応や対応に人の心の真実を感じ続けた1ヵ月でもあった。
 

 
倒産した経営者とか、重要な役職から追放された政治家とか、年老いて家族全員から見放された家長とか、………

絶対的弱者としての社会的経験の苦しみは、それを実際に体験した者でなければ決して分からない一面がある。

その重さに耐え切れずに自殺する人も数多くいる。
 

………………………………………………………

 
………等と、今の私は呑気な事を言っていられる立場ではない。

妹のおかげで最大限あと1ヵ月弱の生存は可能になった訳だけれど、その先の保証はない。

再び、
だがしかし、………

自分の生存が可能かどうか、
そんなところに問題の本質がある訳ではない。
 
 
私は自分が信ずる武士の道に生き、死んでいく覚悟を固めている人間だ。

妹といえども他人の情けにすがってまで生き続けるつもりはない。

だから私は妹に1ヵ月のカウンセリングを提案した。

そのカウンセリングに対して
1ヵ月後の妹が7万円以上の価値を実感できなかったら

私は武士として生きていく資格のない人間だと自分の事を判断する他はない。

………こう断言するだけの自信と覚悟があるから私は妹に1ヵ月のカウンセリングを提案したのだ。
 
 
今現在の妹が私の提案の意味をどう考えているかは分からない、
………というより分かっているけれど、

その事だけは心に留めておいてほしい、古い奴だと笑わずに。
 

 

……………………… 以上 ………………………………

 

 
ここまでは24日(火曜日)からこのブログを読み始めているはずの妹に対する伝言であり、

ここから先の文章では、
このブログを御覧頂いている、……かもしれない読者諸氏に対する伝言あるいは提案を行ってみたい。

伝言あるいは提案のタイトルは「創造ネット計画概論 …… 序説 」
 

 
「創造ネット計画」全体の内容を極端な表現として言い切ってしまえば

「現在の一般的な日本人の生活意識を根底の部分から変革する事によって日本の未来を切り開く計画」

………とでも言い表す他はない。

とんでもない事を言い出す奴だ、と
お思いだろうけれど

心を静めて以下に申し上げる私の理屈を冷静に考えて頂きたい。
 

 
世界の全人口に占める経営者および資本家の比率は決して一定の割合を越える事はない。

日本だけではなく
普通に働いている大部分の一般的な人々の生活意識は

「経営者」のそれではなく「従業員」としての心理心情

「資本家」のそれではなく「労働者」としての心理心情によって満たされている。

こういう状況下に於いて今後の世界を考える時、
全人口に占める実質的な経営者および資本家の比率を飛躍的に高める事に成功した国の未来は非常に明るいものになるはずだ。

高い教育水準、高度に整備されたインフラ、
特殊な歴史を持った独特な国民の気質、
政治、経済両面に於いて追い上げられ追い詰められた国際的な立場、………

あらゆる面から見て
現在の日本は、そういう国へと進化し変身する可能性を秘めている。

全人口に占める実質的な経営者および資本家の比率を飛躍的に高める事に成功した国へと………。

そう私は考えている。
 

 

 
「創造ネット計画」の原点は23年前、1994年2月に書いた「創造する民衆の時代」という論文にある。

それ以降、私は何度も何度も「創造ネット計画」を世に問おうとしてきた。

最初のブログは今から10年ほど前、2006年07月に立ち上げた。

序文はこちら

このブログは誰からも読まれることなく御覧のように立ち枯れたまま現在に到っている。
 

その3年前に全盛期の「2ちゃんねる」にスレを立ち上げた経験もある。

この時は或る程度まで盛り上がり、「ひろゆき」が降臨する場面もあったりした。
 

今から8年前、2009年12月に「21世紀人志向」というブログを立ち上げた時も色々な事情があって、かなり盛り上がり、多くの人々に注目された時期もあった。
 

自治会にも提案を試みている。
最初の提案は今から組長会提案インターネット見本17年前の平成11年(1999年)

次の提案は
約3年半前の平成25年(2013年5月) 当地方の自治会長を務めた時に行った。
自治会長_新米_はつらいよ 
 

全ての提案が失敗に終わった後、昨年の5月17日に、このブログを立ち上げた。

 

 
このブログはこちらの記事にも書いたように、或る女性に向けた、しかもFXに関する考察を主たる目的としたブログとして出発した。

プロのFXトレーダである彼女に「深い教養に裏打ちされた、本物の愛を知っている、本物の女性」になってもらいたかったからだ。

何故か理屈抜きにそう思った。

もちろん、そういう部分もあるにはあったろうけれど、恋愛感情、というのとはちょっと違うと今の私は考えている。

子供のいない私が、
今まで自分が生きてきた過程で得られた「何物か」を確実に伝える事の出来る相手が欲しかったのかも知れない。

彼女は心理的に幼くて社会的に非常に危険な状態にある、……と確信していた、……という事情もあった。

自分がFXをマスターしたら、一緒に「創造ネット計画」を立ち上げて、華のある彼女に代表を務めてもらいたい、という現実的な思惑もあった。

ともかく、自分の全霊を尽して語りかけるだけの価値がある可能性に満ちた女性だと考えていたし、その考えは今も変わってはいない。
 

そんな意図から出発した、このブログだったのだが、………

 

 
この記事を書き終えた時点で、
彼女に関する限り自分としてやれるだけの事はやり尽くした

………という実感が何故か湧き上がってきて、

それ以降、このブログに向う私の姿勢は根本的な部分から変化し始めたようだ。
 
 
何故そうなったのだろう?

そろそろ生活資金が底をつき始めている、………という事情もあったのかも知れないけれど、

実際問題として

「上記した記事には彼女に対して自分ができる究極の助言が表現し尽されている」
という判断が最も大きかったと思う。

その時の私は
それ以上、上から目線で彼女に語りかける事が出来なくなってしまっていたのだ。
 
 
全体として言える事は、
その時点で、それまでの私が持っていた「人間としての表側の力」は全て使い果たした、………という事なのだと思う。

後は、その「表側の力」の裏にあった様々な問題点が次から次へと浮かび上がって来るのが状況の流れの必然だったのだ、と思う。
 

 
………こんな事を言うのは早過ぎるのかもしれない。

しかし、
苦しかった昨年末以降、今日までの1ヵ月は、自分にとって非常に大きな体験を与えてくれた貴重な期間だったと思う。

或る意味では決定的な期間だった、と断言しても良い。

たとえこのままの状態で自死に向わざるを得ない結果に終わるとしても。

今までの自分の人生の裏側にあった問題点の全てを確実に見届けることが出来たのだから。

人の心の真実を見極める事が出来たのだから。
 

 
もしも私がFXをマスターした上で「創造ネット計画」の実現に向っての行動を開始していたとしたら、

それは今の私が考えている「創造ネット計画」とは全く別のものとして、別の形をとって進行し展開して行ったに違いない。

そして、何時か必ず破綻の時を迎えたに違いない。
 

 
殆ど全ての人々は成功者、実力者、権力者の前では決して本当の姿を見せない。

そして、その事実を自分自身に対してさえ隠し続けている。

人の心の真実は「自分自身を含めた絶対的弱者」の前にしか現われないものなのだ。

未来を切り開く人間の本当の力は、その瞬間に現れた心の真実の中にしか存在し得ないものなのだ。
 

昨年末から次々に襲いかかってきた困難の裏側にある「コンステレーション」の本当の意味は、この真実を自分に教える事にあったに違いない。
 

 
………こういう考えの下に今の私は「創造ネット計画」の実現に向っての現実的な努力を開始しようと思っている。
 

 

再び

……………………… 以上 ………………………………

 
先週の19日(木曜日)、
妹にカウンセリングを提案した時と同じ意味に於いて

今の私は読者諸氏に対して「創造ネット計画」を提案したい。

未来的、実験的ではあるけれど非常に現実的かつ具体的な事業計画である「創造ネット計画」への投資をお願いしたい。
 

いや、
現段階に於いては投資としてではなく
面白い遊び、或いはゲームに対する代価の支払いという意味で、でも構わない。

困窮してる私の経済状態に対する援助という意味で、でも構わない。

しかし、
それらの「支払い」や「援助」は最終的に「創造ネット計画」への投資に結びついていかなければ私にとって本当の意味は持ち得ない。

それらの「支払い」や「援助」を行っている人々の動機を最終的に「創造ネット計画」への投資に結びつけていく事が、その場合に於ける私の仕事になる、と考えている。
 

 
投資、或いは代価の支払い、或いは援助、に関するルールは次回の記事から展開していく予定のプレゼンテーションの冒頭でお示ししようと考えている。
 

 

コンステレーション …… ③

 

 
前回の記事の結論は以下の通りだった。

………………………………………………………

「具体的に身辺の整理を初めとして遺書の内容や死出の旅路のルートの確認から必要経費の算出と確保、出発日時の想定……等々、死に到るまでの詳細かつ周到なプログラム」を完全に仕上げた後

それを粛々と実行していくこと以外にはありえない。

………………………………………………………

………という訳で、
具体的に身辺の整理をする最初の段階として、弟と妹に連絡して「事後処理」の相談を行った。

ありのままに現在の自分の状態を説明して彼等の反応と対応を受け止めながら感じたのは、やはり「コンステレーション」だった。

特に妹は大きな生活の変革の時期に差し掛かっている、………という風に私には見えた。

妹……と言うより、「妹」と「25歳になる妹の息子」の前に開けている巨大な可能性を具体的にハッキリと強く私は感じ取った。
 

 
………という事で、

今後の私の行動に関する結論から言うと、

① ……… 妹から7万円の資金援助を受けて、自殺の決行を1ヶ月先延ばしにする。

② ……… その間に週1回のペースで妹と1時間程度の話し合いを行う。

③ ……… その話し合いの結果によって、それ以降の私の行動の基本的な方向が決まる事になる。
 

 
妹には妹の考え方があるだろうけれど、
妹との「話し合い」に対する私の意味づけと考え方と姿勢は「彼女に対するカウンセリング」だ。

「彼女に対するカウンセリング」を前提としての「話し合い」を私は妹に提案し、

5日間に渡る断続的な厳しい交渉の後に妹は私の提案に同意し、今日の昼過ぎに7万円を支払ってくれた。
 

 

上記の決定についての説明を以下に試みてみたい。

 

 
最近の私は自身の生存を賭けて職探しの為の面接を重ねてきた。

最初はハローワークの仕組みさえ知らない全く無知な状態から始まったのだが、………

試行錯誤を重ねる内に、
個人的および社会的な意味での「職探し」という行為の本質を理解するに到って私は職探しを断念(卒業)する事にした。

現在の私にとって、「職探し」は現実社会に対する屈服の第一歩に過ぎない事を痛感させられたからだ。
 

仮に職を探すことが出来たとしても、本当の能力を生かすことができない手足を縛られた状態の中で自分を見失ってしまう他はない。

若い頃ならいざ知らず。
………それが73歳という年齢の体力的および社会的な限界であり、現実だ。

そういう状況の中で今までの自分の主張の意味や価値を私自身が否定せざるを得なくなる、………と判断した。

………だから私は自死を選択したのだ。
 

 
一方、………
73歳の老人の職探し体験には上述したような否定的な見方とは真逆な解釈の仕方もあり得る。
 

私は今まで社会というものを大所高所から理論的にしか眺めてこなかった。

その私が絶対的弱者の立場から現実社会へのアプローチを続けなければならなくなった訳なのだが、………。

その体験の中で私が得ることの出来た情報の量には莫大なものがある。

何も知らない若者が訳も分からないままに多数の企業への就職活動を続けていた訳ではないのだから、………。
 

…最初は独立行政法人の地方支部の総務課長氏との面接。

次は200人規模の事業体の経営責任者氏との面接。

3番目は60人規模の企業の経営責任者氏との面接。

………何等かの偶然が重なって私は3つの異なったタイプの事業体の責任者との厳しい面接を体験する事ができた。
 

面接に向う前には当該事業体に対する徹底的な事前調査をインターネットで行った。

履歴書や経歴書を作成しながら過去の自分の行動の社会的な意味についても徹底的に考えさせられた。

面接の場で得られる情報については以前の記事にも書いたけれど、面接の結果として先方から頂いた反応にも人間的な経験として深く考えさせられる事が多々あった。

 

………上記した主要な面接以外にも
ハローワークのインターネットサイトでの多数の募集情報の検索と調査と電話での問い合わせといった体験から得られた現実的な情報の量は莫大だったとしか言いようがない。
 

 
それら最近の職探し体験の結果として
弟や妹との「事後処理」の為の話し合いを行った時の自分には、過去の理論的な社会理解に裏打ちされた現実社会に対する高度で実感的な認識が蓄積されていた、………はずだ、と私は考えている。

そういう私の前に
巨大な可能性を持っている「妹」と
「25歳になる妹の息子(私の甥)」が
事の本質を理解しないままの状態で現れたのは単なる偶然にしては余りにも出来過ぎている。

私自身の運命の転換点と妹と甥の運命の大きな転換点がシンクロナイズしているのだ、………としか私には考えられない。
 

 
或る面では特殊な苦労をしてきた
特殊な感性の持ち主ではあるけれど
全体として妹は慎ましく普通の生活の中で普通のありふれた夢を抱いている普通の女性であり母親だ。

私のような生き方を理解することは出来ないだろうし、私も理解してもらおう等とは思っていない。
 

それ故に
今回の「事後処理」に関する話し合いの当初に見せた彼女の姿勢は非常に厳しいものだった。

死にたいのなら死んだらいいんじゃない?
 

弟の姿勢は更に厳しかった。

兄弟は他人の始まり、………と言い
他人の不幸は蜜の味、………とも言うけれど、

弟には私の困窮を喜び私の死を望んでいる気配さえ感じられた。
 

事ここに到るまでには兄弟家族間の長い長い歴史的な過程が積み重なっている。
 

 
………そうした状況の中で私は彼・彼女と話し合いをしなければならなかった。
 

 
最終的に妹が私の提案を受け入れてくれたのは

長く厳しい話し合いの末に

我が家の長男としての私の「父母や弟や妹に対する愛」を実感してくれたからだ、………と今の私は感じているし考えている。

それ以上でもなければ、それ以下でもない、………と。
 

 

………………………………………………………

 
………というような次第で、
これから1ヵ月に渡って行われる予定の「妹との話し合い」に於いて

私が直感している
「妹」と「25歳になる妹の息子」の前に開けている巨大な可能性は

現在の妹本人には何の意味もない。むしろ危険物だとさえ言える。
 

それを受け止めるだけの器のない者にとって「巨大な可能性」は「巨大な重荷」に他ならない。

無理に挑戦すれば自分自身だけではなく周囲の人々にも迷惑を及ぼす結果に終わる。

それについては私自身が身をもって体験してきた事だ。
 

 
今後の「妹との話し合い」の中で

私は現在の自分が感じている「巨大なコンステレーション」の正体を見極めながら妹と自分にとって最も適した将来を模索して行こうと考えている。

前回お話した三島由紀夫的な意味での「私の自死」を含めて。
 

 

 

やはり予定どおり………。

 

今週一杯、可能な限りの努力をしてみたのだが、………
事態は一回りして去年の12月10日のこの状態に戻ってきた。

心理状態も当時と同じ………
いや、
約1ヵ月の試行錯誤の結果として自分の「詰み」は避けられない事実だという事がハッキリした分、気持ちが強まっている。

死に対する恐怖感はないし
やれるだけの事はやり尽くした、と言い切るだけの自信があるから
むしろスッキリとした清々しい気分でさえある。
 

母の死を覚悟した時の事を思い出す。
母の苦しみを見ている事に耐え切れずに担当の先生に電話した時、彼から受けた説得を、………。
 

ここで母を入院させたら、それまでの私の努力は全て無に帰する、………と彼は力説した。

当時の様々な事情から母を入院させる事は病院としても迷惑以外の何物でもない、………という理由もあったのだろうけれど、………

現代日本の医療制度の枠の中で、異端ともいえる母に対する私の介護方針に可能な限り協力してくれた彼の言葉は、やはり心に沁みた。

圧倒的多数の人々の多様な死と接してきた人の言葉には逆らい得ない重みがあった。
 

ところで、
今回の状況に於いて自分を説得したのはコンステレーションだったのだ、と今の私は考えている。

仕事探しの毎日の中で私は出会った全ての「コンステレーション」を見誤っていた。

出会った全ての「コンステレーション」との勝負に私は敗北した。

73歳の老人がパート労働先を求める、という事に対する世間一般の常識的感覚を覆すだけの説得力を私が持っていなかった、………とも言える。

今の私には、出会った全ての「コンステレーション」が敗者としての自分に死ぬ事を命じている、という実感がある。
 

これ以上、見苦しく生きる為だけの行動を続けたら、今までの私の努力は全て無に帰する。

見苦しい行動をせずに、しっかりと運命を受け入れて正しく死ぬべし、………という心の底から湧き上がってくる強く深く冷静な意志を感ずる。
 

 
私は世界や日本の近未来に対する或る種の思考や直感を持っていて、その思考や直感の可能性を信じている。

それを信じ育てる事のできる人間は私以外にいるはずはないとも考えている。

私は自分の内にある思考と直感と、それに伴って生ずる計画→「創造ネット計画」の唯一無二の理解者なのだ。

しかし、………
 

確かに私は「創造ネット計画」の可能性を信じてはいる。

その私が私という人間の現実適応能力を信じることができなくなっている。

「創造ネット計画」を現実社会の中で育てていく力は自分にはない、………と判断し始めている。

自分の愚かさ醜さ力不足を正面から見つめ受け入れて正しく死ぬべし、………と。
 
 

もしも、ここまでこのブログを読んでいらっしゃる人がいたとして、
その人に対して今の私に出来ることは
正しく、そして可能な限り美しく死んでみせる事しかないと思う。
 

母を看取った時に私が理解した意味での神がイエスを通じて人間に示した真実と比べるのは余りにも傲慢な例えだけれど、………

私という人間の心の真実、

つまり、
このブログの全ての記事の底に流れている
私という人間の心の真実、

を示す為に今の私に出来る唯一の方法は自分の命を生贄として差し出す事。

それ以外にはない、………と考えている。
 

 
日本には武士が自分の心の真実について証を立てる手段としてとして切腹という古来から伝わる方法がある。

私は三島由紀夫ではないので流石に割腹までするつもりはないけれど、………。

御家再興に向けて全ての努力を尽した後、切腹によって従容として死に赴いた大石内蔵助の美学に心酔している面はある。
 

 
………という事で、………今後の私が取り得る行動は
 
前回の記事に書いた

「具体的に身辺の整理を初めとして遺書の内容や死出の旅路のルートの確認から必要経費の算出と確保、出発日時の想定……等々、死に到るまでの詳細かつ周到なプログラム」を完全に仕上げた後

それを粛々と実行していくこと以外にはありえない。
 

 
このブログについては、
こういう記事を書く事に問題を感じない訳ではないのだけれど、やはり今までの行きがかり上、ここまでは書いておくべきだと判断した。
 

この後の処理および成り行きは先ほどの記事に書いた通り。
 

「詰んだ」という判断が下された場合は、
これ以上ブログ更新はせずに1~2週間後に全ての記事を削除する。

 

サイトはサーバーとの契約が切れる来年の6月4日まで記事なしの状態で残って、その後はサイト自体がネット上から消えていく事になる。

 

「souzou.net」という貴重なドメインも来年の6月4日に契約が切れる。

コンステレーション …… ②

 
このブログは「今のところ誰も見ていない……ことになっているブログ」だ。

けれども、やはり誰かに読んでもらいたい、何事かを訴えたい、伝えたい、……その為に、このブログを書き続けよう、……という思いも本音だったし今も本音であり続けている。
 

 
或る女性に対して自分が感じている「重要な真実」を、どうしても伝えたい、……という切実な思いから始めたのが、このブログだ。

色々な事情があって、
そういう目的を達する為には 「誰も見ていない………ことになっている」形 で記事を進行させるのが最も理にかなっている、という判断から始めたのが現在の奇妙な形式の出発点だった。
 

インターネットの世界では時として思いがけない経歴や思いがけない能力を持った人物と遭遇する事がある。

35年以上前、東大の工学部を卒業してシリコンバレーで当時最先端のCGプログラムの開発に携わっている若い男性が私に語りかけてきた時の事を思い出す。

インターネットが始まったばかりの頃のネットニュースの世界での出来事だった。

それから少し後、2ちゃんねるの最盛期、私が立てたスレに「ひろゆき」が降臨した事もあった。
 

先ほど書いた
「自分が感じている『重要な真実』を、どうしても伝えたかった或る女性」
と遭遇したのは今から7年ほど前、既にブログが全盛期を終えつつある頃だった。

30歳前半、いや、ひょっとしたら40歳台?
東京都在住、長身の美人( 自称 )
当時のFXブログランキングで常に1位の座を確保している人気ブロガーだったし「2ちゃんねる」でも専用のスレが立っていて彼女を巡る話題が沸騰していた。

「FXは最初40万円でスタートし約1ヵ月半で300万になりましたが、そこからはロスカットやら自信喪失やらで長い暗黒時代を経験。その後はなんとか暗黒時代を抜けて、現在は都心の一戸建てが2個買えるくらい」

………これがFXに関する当時の彼女の実績という事らしく、それは確かに真実だと感じられた。

東北大地震の際には愛車のハーレーを駆って親友の安否を尋ねて回り、確か1千万円を国に寄付した!………とか!

とにかく非常に変わった、とんでもない性格の、とんでもない女性だった。
 

私が当時公開していたブログで彼女のブログの紹介記事を書いたら思いがけない形で返信を受けたのが彼女との関わりの始まりだった。

それ以降、彼女のブログと私のブログとの間で展開された「衆人環視の奇妙な勝負」は2年ほど続き、多くの人々が興味津々で成り行きを見護っていたものだった。

2年ほど経過した後、「勝負」は彼女のブログの突然の中断という形で幕切れとなり、私のブログも本当に誰も見ていないブログになって終了せざるを得なくなった。
 

………中断されていた彼女のブログが活動を再開した事を知ったのは今から3年半ほど前のことだ。

それ以降は彼女のブログに公開・非公開のコメントを私が投稿するという新しい形の関わりが2年近くに渡って続き、一昨年の7月に再び彼女のブログが中断する事によって、その関わりも終了した。
 

 
その内容や動機の詳細を簡単に説明する事は不可能だけれど、私には彼女にどうしても伝えておきたい思いや事柄があった。

「どうしても伝えたい思いや事柄」を彼女に伝えるために始めたのが、このブログだった。

私自身の経済的事情からFXを本格的に学ぶ事にした、という経緯もあった。

FXの実力を身に付けて、いつか彼女との「勝負」を再開したいという気持ちもあった。
 

 
色々な事情から考えて、最近まで彼女がこのブログを読んでいることは確実のように感じられた。

しかし、昨年の11月末にこの記事をアップして以降、何かが大きく変化し始めた事を私は感じている。

彼女の心が変化しているように感じられる事は確かだ。

けれども、それ以上に私自身の心が大きく変化している、………と私は考えている。
 

どうしても彼女に伝えたかった思いや事柄は上述した記事を書き終えた時点で伝え終わったのだ、………と今の私は感じている。

それ以降の私の文章は大きく変化した。
その事が私自身の心が大きく変化した事実の何よりの証拠だと今の私は考えている。
 

……………………… 以上 ………………………………

 

………………ここまでが、このブログを書き始めてから現在に到る事情の説明である。

今後は彼女に対してだけでなく、彼女を含めて自分に縁があるかもしれない人々に読んで頂く為に、このブログの記事を書いていこうと思っている。
「誰も見ていない………ことになっている」実験的ブログとして。
 

 
………という事で今までの記事に一区切りつけて、
このブログを初めてお読み頂く方々に現在の私の生活状態をお伝えする事からスタートして、今後の記事を展開していこうと思う。

この記事のタイトルが何故 「 コンステレーション …… ② 」 になっているのか、という事情も以下の文章をお読み頂けば納得して頂けるのではないかと考えている。
 

まず、
FXについて言うなら、現在の私はそれをほぼ完全に「理解」できている……と感じている。

もちろん、本番トレードを開始して最低限(月10万円ほど)の利益を確実に得る程度、……という意味での「理解」ではあるけれど、

今の自分に欠けているのは、その理解をデモトレードで確認する為の半年程度の期間と、20万円程度の資金準備だけだ、………と考えている。

しかし、欠けている部分は絶対かつ決定的だ。

20万円程度の投資資金の準備はおろか、あと1ヵ月の生活そのものを維持していく金もなくなっているのが現在の私だ。

私は働き口を探しに職安に行く他はなくなった。

けれども、
その事実より、そうした現実を招き寄せたこれまでの私の生き方の根幹の部分にある考え方やものの感じ方は更に問題だ。
 

 
だから、働き口を探しに職安に行く他はなくなった事それ自体は、むしろ現在の自分に与えられた反省的思考に対する絶好の機会なのだと思っている。

しかし、やはり現実は厳しい。働き口はみつからない。

そうした絶体絶命とも思われる窮地の中で救いの神とも思われる最初の募集先が現れて面接にまで漕ぎ着ける事ができた。

奇跡的とも思える状況に私はコンステレーションを感じていた訳なのだが、………
 

最初の面接は失敗に終わり、
前回の記事に書いていた2回目の面接も失敗に終わった。
運命の女神は更なる反省を私に求めているのだ。
 

最近の私は失敗する度に自殺を考える。
漠然としてではなく非常に具体的に身辺の整理を初めとして遺書の内容や死出の旅路のルートの確認から必要経費の算出と確保、出発日時の想定……等々、死に到るまでの詳細かつ周到なプログラムを工夫し続ける。
 

以前から分かっていた事だが、
死に向う具体的な準備をする事は、死に対する漠然とした恐怖を克服する上で最高の手段だという事実を改めて確認させられる。

死というものを具体的に身近に詳細に観察する度に、訳の分からない不思議な気力が私の心身の底から湧き上がって来る。

しかし、その気力は本物なのだろうか?
 

今現在の私には別の面が見えてきている。

今まで受けた2度の面接に失敗した後の自分の心の動きを振り返って見えてくる事がある。
 

死の準備をしている時の私は非常に傲慢な心理状態にいたのだ、という事だ。

その時の私は、
死を恐れない自分に陶酔していたのだ、………としか考えられない。

誰からもまともに相手にされなくなってしまったのは、過去から現在までに到る私自身の行動の当然の結果であるにも関わらず………。
 

そうした事実を棚に上げて
自分の弱さ愚かさ醜さを認めようとせずに自分の言い分は絶対に正しいという思い込みの只中にいた。

このブログを書くという行為も、そのような自己正当化の為の重要な手段だった。
 

今まで見えていなかった自分の弱さ愚かさ醜さが本当に見えてきて、分かってきて、納得できた時、………

自分に与えられた「コンステレーション」を本当に正しく感じ取り理解し、それを受け入れる事ができた時、………

何故か不思議な出来事が起こって、その事を知らせてくれる。

………そんな小さな何気ない出来事が先ほど私の身に生じた。
 

………事実を言ってしまえば、
最近どうしても直すことができなかったパソコンの不具合が何故か急に回復した、………というだけの事なのだけれど、………。

それが私には、どうしても不思議な偶然としか感じられないのだ。

いままで絶対に認めようとしなかった自分の弱さ愚かさ醜さを本当に理解し受け入れる気持ちになった時、何故か突然パソコンが不具合から回復してくれた………というだけの事なのだけれど。

その小さな出来事が私には神の赦しの現れとしか感じられない。
 

私は今、極めて自然な当たり前の事実として自分に与えられた「コンステレーション」を受け入れる事ができる。
 

 
このブログを始める動機を与えてくれた女性に対する最後のメッセージを伝え終えた直後から私は自分に与えられた新しいコンステレーションの只中に入り込んだに違いない。

いや、宇宙にも例えられる広いインターネット空間上で、このブログを始める動機を与えてくれた彼女と出会ったという7年前の偶然こそが私の人生に与えられた最大のコンステレーションなのかもしれない。

このブログを、ここまで書き進めてきた今、
目の前に見えている非常に困難な世界情勢
ここに到る原因となっている人間という存在の本質を考える時、
私は近未来の日本社会に於いてプロの物書きとしての立場が自分に与えられる時が来ることを切に願わざるをえない。

生き続ける事さえ出来たなら………。

何等かの形で生き抜いて、このブログを書き続ける事さえ出来たなら………。

生き抜く事によって、今までの自分に欠けていた現実面での生活能力を獲得する事さえ出来たなら………。
 

 

……………………… 再び 以上 ………………………………

最後に前回の記事で紹介した「コンステレーション」に関する3つ記事の中の一つのリンクを再掲して今日の記事を終了したい。

「共時性(シンクロニシティ)」とは?~意味ある偶然の一致~

個人は誰でも自分に与えられた物語としての「コンステレーション」の中を生きている。

人によって、その事実を自覚するしないの違いはあるけれど、………。

………………………………………………………

どのような結果に終わるとしても、私は自身が感じ取り理解した「コンステレーション」を生きていくほかはない。
 

 
…マッティナータ(朝の歌)

………background music………

マッティナータ(朝の歌)
マッティナータ(朝の歌)の説明
対訳歌詞

ルチアーノ・パヴァロッティが歌う★マッティナータ(動画)★
アンドレア・ボチェッリが歌う★マッティナータ(動画)★
全盛期の三大テノールが歌う★マッティナータ(動画)★

イル・ヴォーロが歌う★マッティナータ(動画)★…音量に注意…

韓国のテレビ放送番組で歌われている★マッティナータ(動画)★
シン・ヨンオクが歌う★マッティナータ(動画)★
韓国の無名ソプラノ歌手が歌う★マッティナータ(動画)★

ジュゼッペ・ディ・ステファーノが歌う★マッティナータ(動画)★
ユッシ・ビョルリングが歌う★マッティナータ(動画)★
ジョーン・サザーランドが歌う★マッティナータ(動画)★

山口佳子が歌う★マッティナータ(動画)★
韓国テナー・日本テナー・香港テナー・・の3人グループが歌う★マッティナータ(動画)★

素人(多分アメリカ人)が歌っている★マッティナータ(動画)★
素人の女の子(イタリア人)が歌う★マッティナータ(動画)★

黒人歌手が歌う★マッティナータ(動画)★
ニコラ・ベネデッティジョセフ・カレハの共演で★マッティナータ(動画)★

 

 

コンステレーション …… ①

 

先週の面接の結果は不採用だった。

面接して下さった総務課長さんからの誠実で丁寧な結果報告に対して、私の口から思わず出てきた言葉は「分かりました」「残念です」「失礼します」の3つだけだった。……それも我ながら驚くほど冷たい事務的な口調で。

御心のままに等と言っていた自分の本性は意外なところで露呈してしまうものなのだなあ、……と思った。
 

上記した不採用の通知を受けたのは27日の朝。

その日の内にハローワークのインターネットサイトの情報を探し回り、興味を感じた何件かの募集先に電話で詳細を確認してみた。

最終的に、これなら応募してみる値打ちがあると考えられる案件が1つあったので、そこに応募して面接を受けたのが29日。

………という事で、当然の事ながら今は面接の結果待ちの状態。
 

 
ところで、
ハローワークが良いのは募集先の基本情報(事業所名や電話番号など)が明示されている案件が多い点だ。

そうした最も基本的で肝心な情報を派遣業者は秘匿して募集者と応募者の両方を操作している。それらの情報が彼等の利益の源泉になっているからだ。

それらの基本情報を消化した上で彼等流の就職情報をインターネット上に流して応募者を操作しているのだ。

もちろん、募集者にとっても応募者にとっても、彼等が提供している方法の方が簡単で便利な面はある。

特に一定の規格化された大量の労働商品を扱う募集案件に関しては、その方法が最も効率的だとは言えるのだが、………。
 

一方、
募集先に関してハローワークが提供してくれている基本情報を使えば電話で詳細を確認する事だけではなく、他にも募集先に関して様々な事柄を調べる事が可能になる。

特にインターネットのHPを持っている事業所や企業は、かなりの部分まで深く正確に経営の実態を確認する事ができるし、……面白いところではこんな事も出来たりする。

表示されているのは★この歌(動画)★で有名な「証城寺」の駐車場風景。……マウスでドラッグしたりズームアップしたりすると周囲を自由に歩き回ることができる。

これはグーグルマップストリートビューという機能の一例だ。

グーグルマップを使いこなせば募集先の建物や敷地や周囲の環境を右からも左からも上空からも自由自在に調べて回ることができる。
 

尚、
「証城寺」のグーグルマップ画面はこちら。マップの左下にあるボタンをクリックすると航空画面に切り替わり、ズームアップすれば駐車している自動車の一台一台まで確認できるようになる。

こちらは南側を流れている矢那川対岸から「証城寺」を眺めたストリートビュー。

ストリートビューの使い方は★こちら(動画)★

………………………………………………………

以上、
知っている人には何でもない簡単な事だけれど、知らない人も多いようなので余計なおせっかいをしてみた次第。
 

 
要らざるおせっかいをした結果として詳しく書く時間がなくなってしまったので、本題(コンステレーション)についてはリンクを多用して手短に表現してみたい。
 

 
若い頃に様々な宗教をハシゴして回った挙句に私が辿り着いたのはユング心理学であり、ユング心理学を知ったのは河合隼雄の名著であるこの本に出会ったからだったのだが、………

そのユング心理学の基本的な概念の一つにコンステレーションという考え方がある。

最近の私は………特に前回の面接を受けた後あたりから、コンステレーションの流れを自分の周辺に感ずるようになって来ている。

そのような物事の感じ方や物事に対する考え方を上手に表現していると思われる代表的な記事を3例、下記にリンクしておこう。

私の「人生の師」河合隼雄先生へ
「共時性(シンクロニシティ)」とは?~意味ある偶然の一致~
偶然性との対話(1)

前回だけではなく今回の募集案件に対しても上記した3つの記事のような感じ方を現在の私はしている。
 

 
コンステレーションをFX的に説明すると、
相場が大きく動き始める時に現れる特有のチャートパターンのようなものだ、と言えるだろう。

今現在の私は、目の前の状況の奥底に、例えばフラッグとかダブルボトムとかレンジブレークの前のもみあいとか……そういったパターンが見えてきた時のような感じの中にいる。

見えているパターンの形状から値動きの方向はもちろん、値幅なども予想する事ができる。

しかし、読みを誤ってダマシに終わる可能性も十分以上にある。
 

 
いずれにせよ、
自分が感じているコンステレーションを、どのように分析し、そのコンステレーションに対して具体的にどう対応していくかの判断は状況次第で時々刻々と変化していく。

今回の面接に対して感じたコンステレーションの場合、

最も基本的な部分での大きな変化はない。
しかし、それでも面接を受ける前と後ではコンステレーションに対する私の意味づけと対応方針はかなり変化している。
 

面接の場で得ることの出来る情報の量は莫大だ。
事前にインターネットで調べる事が出来ない細部の事情を感じたり読み取ったりする事ができる。

その上で、今回の面接の内容をコンステレーション的にどのように分析し意味づけし理解し対応していくべきか?

この記事もそのような観点から話の方向性とか触れるべき事柄と触れるべきでない事柄といった諸要素について熟考し判断しながら書いている訳なのだが、………
 

 

時間がなくなったのでお話の続きは次回に書く事にしよう。

 

不可能を可能にする力

 

 

月曜日にハローワークに行って様々な情報を得る事ができた。もちろん最も重要なのは自分に合った仕事の募集情報。

これについては高齢・障害・求職者雇用支援機構という厚生省関連の独立行政法人の三重支部から「能力開発コーディネーター」という仕事の募集がある事を帰宅後にアクセスしたハローワークのインターネットサイトで発見した。

仕事の内容は「求職者支援課にて、求職者支援訓練の実施機関の開拓、コース設定等に対する相談援助、計画の認定に係る申請書の受付、審査、助言等、その他付随する業務に関することを担当」……という事らしい。

この仕事なら面白そうだし私にもそれなりの応募資格がない訳ではないと思ったので電話して詳しい事を少し伺ってみたら、来週の水曜日に面接するという返事を頂くことができた。
 

ところで、
以前に私はこんな記事を書いた事がある。
画面の一番下にある3つの動画リンクに御注目あれ。

派遣切り 派遣という働き方」………!
派遣社員の、はい上がれない現実」………!
ブラックバイト・パート・派遣の実態」………!

書いている時には思いもよらなかったのだが、………
下手をすると、これらの動画で描かれているのと同じ生活を私自身が送る事になるかもしれない。
 

インターネットに溢れている就職情報は派遣業者から発信されているものが大部分だ。
 
こういう本を読むまでもなく、派遣業者のいう事を素直に信用する事は危険だという気持ちが私には強い。

その点、やっぱりハローワークは安心だし情報の質も高いと思う。

もちろんハローワークで得られる募集情報の中にもブラックっぽい仕事がない訳ではない。

けれども、募集内容を熟読すれば募集している企業の人柄のようなものも見えてくるし、よく探してみると上記したようなめっけもんの募集があったりする。
 

ともあれ、
面接の約束を頂いた翌日、ハローワークに行って心配していた紹介状を頂くことができたのも幸いだった。
年齢とか経歴という点で私にはかなりハードルが高い募集なので、ここまで来られた事それ自体が一種の奇跡であるような気がしているのだが、……

その点を自覚して最近3年に渡って勤めた自治会長と自治会顧問という役職から得られた様々な経験を暗に明に可能な限り強調した事が功を奏したのかもしれない。
 

この「奇跡」は果たして来週まで続くのか? それとも………?
 

過大な期待を抱くことなく面接に向っての努力を淡々と続けていこうと思っている。

履歴書や職務経歴書の作成その他、やるべき作業は山ほどある。
それらの課題の1つ1つが面接へ向って戦略を立て作戦を練り姿勢と気力を整える為の手がかりにも足場にもなる。
 

 

 

………background thinking………

不可能を可能にする男
映画「オデッセイ」に学ぶ、不可能を可能にする方法
マルハナバチについて

………background Performance………

★神業ビリヤード(動画)★
★天才教育?★(動画)
★サンフランシスコ爆走(動画)★
★高所平気症?(動画)★

………background music………

「さやかに星はきらめき」について
Cantique de Noel 歌詞

ファン・ディエゴ・フローレスが歌う★Cantique de Noel(動画)★
アンドレア・ボチェッリが歌う★Cantique de Noel(動画)★

O Holy Night 歌詞

キングス・カレッジ合唱団のコーラスで★O Holy Night(動画)★
エリーナ・ガランチャが歌う★O Holy Night(動画)★
ジョシュ・グローバンが歌う★O Holy Night(動画)★
ジェントリが歌う★O Holy Night(動画)★
マライア・キャリーが歌う★O Holy Night(動画)★
レイマ・マーバンが歌う★O Holy Night(動画)★
セリーヌ・ディオンが歌う★O Holy Night(動画)★
 

 

「お金ってこうやったら入ってくるようになるんです」……か?

 

まず最初にお断りしておきたいのだが、………

このブログは誰も見ていない……ことになっているブログだ、
……という大前提がある。

そういう前提で私は今までの記事を書いてきた。

以前、同様な前提でブログを書いていた事がある。
つまり、実際には多くの人々が読んでいながら、それら全ての人々が読んでいない事になっているブログだ。

身近にいる多数の人々が深々たる興味を持って注目している事は
彼等(彼女達)の様子からありありと感じられていた。

そういう彼等(彼女達)の記事に対する反応を手がかりにブログを進行させていった。

けれども、
ブログの進行上に生じた或る事件をきっかけにして
彼等(彼女達)は私のブログに完全に興味を失って離れていった。

………その事を私は長い間、………たぶん半年くらいの期間に渡って
全く気付かないまま記事を書き続けていたのだが、………

或る時、ふとした事からアクセス解析の結果を詳しく調べてみて
現在このブログに集まっている「読者」は全て
検索ボットなのだ!……という事が分かって
愕然としてブログを中断し閉鎖し削除したものだった。

………このブログでも同じような事、
つまり
或る段階までは興味津々と展開を見護っている「読者」が存在していて、
或る時、或る事件をきっかけとして彼等(彼女達)が完全に離れていく、………
というような現象が生じていたし生じつつある………のかもしれない、………
………と思うのだが、………

今の私にとって、そんな事はどうでも構わない。

そもそも
このブログに関しては最初からアクセス解析などという面倒な作業を行うつもりは全くなかった。
事の始まりからして、このブログを私は書きたいように書き続けている。

前回の記事でも述べたように、
私は自分自身の「心の力」を高め強め深め広げる為に書き続けているのだから。

 

 

………………以上、
ここまでに述べた事を大前提として以降の文章を書き進めていく事とする。
タイトルは「お金ってこうやったら入ってくるようになるんです」……か?

元ネタはこの記事

ちょっとふざけた物言いの中で
この記事が言おうとしている真意は次のような事だと私は理解している。

お金の稼ぎ方に対する拘りや固定観念を捨て、
虚心坦懐に状況を判断して覚悟を固め、
目標を定めて本気で行動すればお金を稼げるようになる。

………これに加えて「カラダに聞いて確認する事」という条件がある。
筆者は「体話士」だそうなので当然の条件なのだろう。

この記事を読んで私はお金を稼ぐ事に対する今までの自分の考え方を根本的な所から虚心坦懐に見直してみる事にした。

もちろん「カラダ」ではなく「御心」に確認しながら、………。

 

 

今までの私は余りにもFXで稼ぐ事に拘り過ぎていたのかも知れない。
「御心」も現在の私がFXで月に10万円稼ぐのは無理だ、とおっしゃっている事だし、………

………と、いうことで
まず最初にやってみたのはインターネットでの職探し。

この試みはすぐに壁にぶち当たってしまった。
73歳の老人に対する求人などどこにもない。60歳が一般的な年齢制限のようだ。

しかたがないので公共職業安定所に電話して聞いてみたら
ない訳ではないけれど、非常に少ない………との事。

.もう一つは生活保護
これについてはこのページを始めとして多数の記事がアップさせているので
徹底的に調べてみた。。

おかげで生活保護がどういうものなのかは本当によく分かった、………のだが、………
知れば知るほど、これは自分には向いていない「お金の稼ぎ方」だし
自分が選ぶべき「生き方」じゃないとしか感じられなくなっていく。

………というような次第で、
今の私に可能かもしれないお金の稼ぎ方は

何とかして働き口を探し出すか
何とかしてFXでお金を稼げるようになるか、の2つしかない事が明白になってきた。

2つとも非常に困難な道だ、と「御心」もおっしゃっている。

 

 
上記した記事の筆者は若いし理学療法士という技能を持っていて頼れる友人もいる。
考え方を少し変えるだけで思いがけない道が開けるのは当然の事なのだ。

 

 
………それに比べて私は………。
 

 

………だとすれば今の私に残された道はただひとつ?
 

 

全てを承知の上だとは言え、愚かな過去の判断や行動の数々が悔やまれる。
 

 

………しかし、これも「御心」。
 

 

与えられている猶予期間は2週間程度。

その期間中は自分が出来る限りのベストを尽そうと思っている。
生きるために生きるのではなく夢と希望の実現に向って。

 

 
とりあえず来週の月曜日に職安に行って職探しに関する最終的な確認をする。

 
もしも職が見つかった場合は、
一旦FXから離れて投資資金と生活費を稼ぐ事に集中する。

 
可能なのであれば今の私にはそれが一番無難な道だ、と「御心」もおっしゃっている。

 

………その方向が絶望的だと確認できたら自然に覚悟は固まるはずだ。
残されたFXの可能性に賭けてみるしかない………と。

 

「御心」も納得してくださるだろう。

 

 
ともあれ
これほどまで本格的かつ徹底的に困難な状況に追い詰められた事は今までの私の経験にはなかった。

これぞまさしく絶体絶命の窮地。

 
あらゆる角度から考えてみても見事なまでに可能性を切り開く道が塞がれている。
将棋などのゲームで言えば完全に詰みの状態。

 
この何日かの間も今と同じ気持ちだったのだが、
現在のようにギリギリの状況に追い込まれている心身の底から、どのような感情や情動や衝動や思考が浮かび上がってくるのか?

 
その辺りに深甚な興味と期待を持って今後も「御心」の動向を見護っていこうと思っている。

 

 
………………………というような次第で、
このブログは、今回のこの記事が最後になる可能性がある、
………と言うか、その可能性が非常に濃厚だ。

今のところ何より困るのはファイティングスピリットが全く湧き上がってこない事だ。

現在の自分が置かれている状況に対して、

ここに到るまでの経緯に対して、

職探しについて僅かな援助を求めてみた相手の反応に対して、

それらの全てに「なるほど、なるほど」と納得し感心してしまっている自分がいる。

怒りや憎しみ等は薬にしたくても湧いてこない。

いい意味でも悪い意味でも
現実的な人々の心の構造について新しく理解が深まった、という感じがしている。

………そんな事は最初から分かっていたはずのことだ。
彼等は決して悪くも間違ってもいない、ただ私が求めている世界と彼等が棲んでいる世界は別物だというだけの事。
 
 

彼等の世界は狭くて浅い。
しかし、それ故に
その狭くて浅い世界で生きる事だけに集中している彼等の生命力は物凄い。
まるでゴキブリのように。

「生きる」「生き残る」「生存し続ける」という面だけから考えた場合、人間はゴキブリより優れていると言えるのだろうか?

しかし、やはり彼等はゴキブリではなく人間なのだ。
人間的な生活や生き方を知るべきなのだ。

彼等を真に人間的な生き方や考え方から遠ざけてしまっている敵は彼等の外側に存在している。

けれども、その外敵が狙い撃ってくる弱点が彼等自身の内側にも存在している。
複雑な理屈を省いて端的に極端に言ってしまえば
前述の外敵が狙い撃ってくるのは彼等の「奴隷根性」と「無知」だ。

その「奴隷根性」と「無知」こそが致命的な彼等の内なる敵なのだ、………と私は考えている。

彼等が抱えている
彼等自身の内なる敵としての「奴隷根性」と闘う武器として
最終的に私が選んだのはFXであり
彼等の「無知」を正し、彼等の生活を在るべき方向に導く手段として密かに準備してきたのが、このブログだ。

 
今でも、この選択は決して間違ってはいなかったと思っている。

 

 
問題は覚悟が甘かった事、相手や対象を甘く見ていた事、に尽きると思う。

 

要するに
自分が選んだテーマ(敵)と闘うには私の器が小さすぎた、という事なのだと思う。
私が現実社会を知らなさ過ぎた、
頭でっかちの世間知らずの理屈だけの人間だった、
………という事なのだと思う。

 

 

思わず下らない愚痴が出てしまった。
 

ゴキブリやら奴隷根性やら無知などといった過激で不穏当な言葉が出てきてしまった辺りに、現在の状況に対する私自身の無自覚的な怒りや憎しみや恨みの存在を痛感させられる。

 
よくよく考えてみれば
自分の限界を徹底的に思い知らせてくれる現在の状況に私は感謝すべきなのだろう。

………反省………。

この反省の結果として生じてくるはずの思考結果を手がかりとして
自分が詰んだか詰まないかを最終的に判断するのはもう少し先になるけれど
現在までの動向から見積もって
「御心」が私の人生に対して重大な判断を下す瞬間はわりと近くに迫ってきているような気がする。

 

「詰んだ」という判断が下された場合は、
これ以上ブログ更新はせずに1~2週間後に全ての記事を削除する。

 

サイトはサーバーとの契約が切れる来年の6月4日まで記事なしの状態で残って、その後はサイト自体がネット上から消えていく事になる。

 

「souzou.net」という貴重なドメインも来年の6月4日に契約が切れる。

 

 
そんな事は考えにくいけれど、
もしも万一、何等かの「奇跡」が起こって「詰み」を回避でき、ブログの維持が可能になった場合は、そうなった時に次の記事をアップする。

 

 

最後に
最初に示した大前提を再確認して今回の記事を終了したい。
 

 

 

 
このブログは誰も見ていない……ことになっているブログだ。
 

 

 

………background Performance………

竹中直人
吐きそうで吐かない人(動画)

 

 

心の力

 

 
前回の記事との関係上、今回は少し軽めの話題から始めたいと思う。

まずFXについては………
まだ本番取引には入らず、相変わらずデモのチャートを眺めている状態なのだけれど、かなり本格的に気合が入りつつある、………という感じ。
チャートを眺めている時の気分は → こんな感じ………かな?
ダメならダメでしかたない。その時はその時なりの対応をしていくだけの事だ、………という覚悟もそれなりに………。

ともあれ、
この記事を書き始めた今は12月3日の午後1時37分なのだけれど、先ほどから興味を感じているサイトは → 上記した記事がある ここ
このサイトに興味を感じたきっかけは → この記事

今回の記事を書くにあたって「腑に落ちる」という言葉に対する自分が腑に落ちる説明を探している時に出会った上記の記事が妙に「腑に落ちた」ので筆者の事が知りたくなってサイト内をあちこち歩いてみた。

深入りするつもりは毛頭ないけれど、色々な意味で「分かる分かる………」と思いつつニヤニヤしながら様々な記事を拾い読みしている。

参考までに

筆者のプロフィール
ちょっと面白かった記事
「youtube.com」にアップロードしている動画
ちょっといいこと言ってるなと感じた動画

 

 

次に今日の記事で本当に表現したかった少し重めの話題。
言いたい事は「心の力」。

もちろん最も大きな理由は書く事が面白くて楽しいからだ。
しかし、それだけではないようにも感じられる。
自分の「心の力」が高められ深められ広められ強められる事を願って私はこのブログを書き続けているような気がする。

その願いは、書き終えてアップロードした後の気持ちの変化や翌朝に生ずる無意識からの様々な反応の意味を理解し、それに伴う感情や情動を消化できた時に、はじめて「叶えられた……かも?」という手応えを与えられる。

 

話は「心の力」に戻る。

前回の記事で書いたように、昨年の3月19日に私は母を看取った訳なのだが、母の苦しみは死の5日ほど前から始まっていた。
その苦しみは激しく凄まじいものだった。

最初は付き添って見ている事に耐えられず助けを求める為に病院に電話し、医師から色々な話を聞かされた後、彼の指示に従って自分ひとりで自宅で看取る覚悟を固めた。

それまでの介護生活に於けるどの様な苦しみの中でも或る種の安らぎが母には感じられたのだけれど、…そのやすらぎは死の苦しみの際も感じる事ができた。

激しく凄まじい苦しみは苦しみとして、そのまま存在している、
しかし、それと同時に心の安らぎが更に深い部分から「人の全体」を包む、…という事がある、…という事実を私は改めて実感した。

頭をなでる。言葉をかける。………それだけで母の顔と身体に安らぎの気配が浮かび上がってきた。
それは死の苦しみの際にも変わらなかった。

寝汗をかいていたので、お湯で温めたタオルで身体を拭いている時、何とも言えず嬉しそうな楽しそうな表情になった瞬間に母の魂は彼女の身体から離れていった。午後2時過ぎの出来事だった。

激しく凄まじい苦しみは苦しみとして、それをそのまま安らぎの中に包み込む力は母自身が持っていた親としての「心」に潜んでいたに違いない。子供である私にできたのは、只々そういう母を見護り続ける事だけだった。

 

母の死で連想するのは十字架の上のキリストの「心の力」。
イエス・キリストはサイコパスの対極にいる人格だとつくずく思う。

………この件に関して詳しい説明をするのは難しいので、今の私が読み手の人々に伝えたい事柄を比較的簡潔に表現してくれている記事や動画を下記にリンクして説明に代えておきたい。

キリストの受難と死の50の理由

パッション (2004年の映画)の一部分(動画)
上映中にショック死した観客がいたほどの映画なので気の弱い人や刺激に弱い人は注意。

上記映画の説明
更に詳しい説明
十字架上のキリストの最後の7つの言葉

キリスト教の歴史

地球の歴史

 

………background music………

ゲツセマネの祈り」について。

「イエス・キリストスーパースター」について。

「ゲッセマネの祈り」の歌詞

 

テッド・ニーリー………63歳の時の歌唱(動画)
28歳の時の歌唱(動画)
ケイティーホール ………ゲツセマネの祈り(動画)
スティーブバルサモ ………ゲツセマネの祈り(動画)

カール・アンダーソンが歌う………Heaven on their minds(動画)
Heaven on their minds(彼らの心は天国に)の歌詞

スタンダードナンバーとして女性がかっこ良く歌う「Heaven on their minds」(動画)

カール・アンダーソンが歌う………I only want to know(動画)
「I only want to know」の対訳歌詞

 

………………………………………………………

 

 

優しいだけじゃ生きていけない

 

今日は自分の現実的な努力に対する懐疑的・否定的な暗い話を敢えてしてみたい。

 

生きる事に対する私の最も基本的な判断と対応は「御心のままに」だ。何が何でも生きなければ、………という気持ちは持っていない。
これが今回の話の大前提

………ところで、

今の私はギリギリの状態下に於いてFXの実力を身に付けようとしている。この試みが失敗に終われば様々な意味で私の人生に先はない事は明らかだ。
逆に、もしも成功すれば幾つもの実現可能な展望が開けてくるはずだ。

前回の記事でお話したように、これからの世界は大変動の時期に入って行く他はないと私は考えている。

そういう変化変動の時期には特にFXを初めとした投機・投資の知識と技術を身に付けている者ほど強い個人はいない。………あくまでも個人レベルでの経済的優位性に限定しての話だけれど。

だから私はFXに今後の全てを賭けた。
いや、……直接的にはFX以外に私に残された稼ぎ方がなかったという理由の方が大きいのだが、………
その「FX以外に自分に残された道がない」……という事それ自体に何等かの必然性(つまり自分の運命のようなもの)を感じていたりする。

いずれにせよ、
私の現実生活の今後は全てFXの実力を身に付ける事が出来るか否かにかかっている。

目の前の直接的かつ絶対的な課題は「FXで10万円稼ぐ事」が出来るかどうか。
クリスマス休暇に入る年末の相場の動きを考えると資金的な面から私に与えられている最終的な猶予期間は残すところ20日程度だと思う。

………なのに、今現在までの私はデモ取引のチャートを眺めているだけだ。来週からこそは本番に入らなくては、とは考えているのだが、………。

そういう自分の心の動きに対して今の私は何の感情も持ってはいない。特段の恐怖も希望も感じずに淡々と日常生活を送っている。
まるでサイコパスのように………少なくとも意識の表面に於いては。

 

御立派とは言いかねるけれどFXに関しても「自分がやれるだけの事はやったしやっている」………と思っている。
それに、
生きる事に対する私の最も基本的な判断と対応は「御心のままに」だ。

その「御心」が「今日もこのブログに集中すべきだ」………こうおっしゃっている。

今の私が「何が何でもFXの実力を身に付ける為に死に物狂いで頑張ろう」………という気持ちになれないのは当たり前の事なのかもしれない。

母の介護という或る意味で絶対的な目的を失った、………というか他者に対する絶対的な責任から解放された現在の私は何時死んだって構わないお気楽な身分なのだ。

若い頃に様々な宗教をハシゴした結果として得た「悟り」を私は持っている。………言葉の根本的な意味において私は「死」を恐れる理由など持ち得ない人間のはずなのだ。

生きる為だけに世間的な常識に従って生きる必要なんか完全に無視しても構わない人間のはずなのだ。

現世での生活を維持するつもりなら「FXの実力を身に付ける事」が自分にとって絶対的かつ喫緊の課題である事は承知している。いやというほどまでに。

それにも関わらずFXを放り出して現在の私が今後の世界の動きについて考え続けているのは、「御心」がそうせよとおっしゃっているから…というだけの事だ。他に理由や目的なんかない。

 

25歳頃、躁うつ病との出会いによって、私は自分の意識や意志的な努力では抑えようのない自分の心身の底の底から生じてくる感情や情動や願いや意欲や気力というものが存在する事を思い知らされた。

それ以降の私は、その時その時に心身の奥底から湧き出してくる感情や情動や願いや着想を何よりも優先して生きてきた。
目の前の現実生活などはどうでもよかった。
そういう私の生活を父と母は黙って許し見護ってくれた。当時の金額で200万円以上の株を勝手に売り払ってしまった時でさえも。

 

「自分の意識や意志的な努力では抑えようのない自分の心身の底の底から生じてくる感情や情動や願いや意欲や気力」
つまり「御心」こそが目の前の現実に対する私の思考や判断の原点であり出発点だ。その意味では一般的な常識なんか糞食らえ、というのが私の本音中の本音なのだ。

生きる為、目の前の生活を護るためだけに他の大切な何物かを捨て去る現実的で常識的な生活に一体どんな意味があるというのだ!

 

繰り返しになるけれど、
生きる事に対する私の最も基本的な判断と対応は「御心のままに」だ。
何が何でも生きなければ、………という気持ちは持っていない。

けれども、もしも非常に近い将来(たぶん来週の中ごろまで)に私の心身の底からFX取引に対する猛烈な興味と意欲が湧いてくるようなら、………それもまた「御心」なのだと思っている。………その逆の場合も。

 

介護にQuality of Lifeという概念がある。
その意味において、胃瘻で食べることも出来ず身動きはおろか最後の1年間はしゃべることさえ出来なかった母に私が出来ることは母が喜ぶテレビ番組や映画を一緒に見る事だけだった。その事それ自体が当時の私の何よりの楽しみでもあった。

もしも「生まれ変わり」が本当にあるものなのなら、その準備を母にさせてやりたい、というのが当時の私の至高の願いであり目標だった。

そういう意図に基づいて2年以上に渡って300本~500本以上のDVDやブルーレイを母と一緒に見続けていた。その中に表現されている様々な人生、生き方、恋愛、死、………を母と二人で見詰めながら疑似体験し続けていた。それが当時の私の生活の実態だった。

そういう生活の中で、そういう喜びを求める事が当時の私に与えられた「御心」だった。

しかし、今になって振り返る時、やはり母は私の為に必死で生きていてくれたのだ、という事実が見えてくる。見果てぬ夢を追い続けている息子の可能性を無条件に信じて。経済的に無能な息子の唯一人のパトロンとして。耐え難い病苦に耐え抜いて。

 

昨年の3月に母を看取ってから1年と9ヶ月になる。
それ以前の母との生活を含めた最近の10余年間に私が学び得た物事は自分自身の「生まれ変わり」にとっても十分以上のものだったと感じている。

その間も今も今後も私にとって最も重要な生きる目的は何らかの意味での「生まれ変わり」であるに違いない。

けれども、………万一それ以外に「生きる意味」があるとしたら、………

………これも繰り返しになるけれど、
もしも非常に近い将来(たぶん来週の中ごろまで)に私の心身の底からFX取引に対する猛烈な興味と意欲が湧いてくるようなら、………それもまた「御心」なのだと思っている。………その逆の場合も。

もちろん………「頑張った」結果として成功するしないも「御心のままに」………だ。やりたいからやる。面白いからやる。………それだけの事だ。

 

……………………………………………………………

ここで再び最初の大前提に戻る。
生きる事に対する私の最も基本的な判断と対応は「御心のままに」だ。何が何でも生きなければ、………という気持ちは持っていない。

 

私の心身の底の底に生じる「御心」がいつも正しいとは限らない。
いや、それどころか今までの体験から考えても、普通の常識から考えて間違っている、という範囲を越えたサイコパスレベルの邪心が心の全体を占める時もしばしばだった。

その場合でも私は常に「御心」に従って来た。行為の結果として警察に捕まる(犯罪になる)ような事が予想されなければ敢えて「御心」のままに行動してきた。但し大部分は心の中、イメージの上で、非常に具体的かつ精細なシミュレーションとして。

一般的な意味での勤勉とか実直とも縁遠い生活形態だった。(そもそも自分で稼いだ訳でもない金を資金としてFXをやろう等と本気で考えている事、それ自体が異常と言えば異常なのだし………)

………………………………………………………というような次第で、
現在の私の目の前に展開している逃げようのない現実は全て私自身が承知の上で招き寄せた当然の結果なのだ。
「御心」のままに生きて来た、「御心」に賭けた自分の人生に悔いはない。

………こんな事を言うのは早過ぎるかもしれないけれど、これが現在の私の心境だ。

………………………………………………………
…………以上、
ここまで、この文章を読んで下さった方がいたとしたら、誠に申し訳ないとは思うのだけれど、いつか一度は言わなければならないと以前から考えていた事なので、………と言い訳させて頂きたい。

最後に、この根暗な本音を敢えて明かす覚悟を私に固めさせてくれた猛烈に暗くて深いところから人間が生きる意味を考えさせてくれ、読者に自分は幸せ者だったんだと気付かせてくれる凄い告白ブログ←サイコパスの母親に育てられた人が自身の体験を綴ったブログだったのだけれど既に削除されている(2018年6月)
このブログが無自覚的かつ暗示的に鋭く指摘している「サイコパスと資本主義の親和性」に関する以下の情報を紹介して今回の記事を終わりたいと思う。

資本主義とサイコパスとの関係
………
サイコパスとしての資本家
………
サイコパス上司の部下だったときの仕事の記憶と記録
………
トランプ旋風を生んだ低俗リアリティ番組「アプレンティス」について
………
アプレンティス(wikipedia)
………
★ The Apprentice(動画) ★