このブログは「今のところ誰も見ていない……ことになっているブログ」だ。
けれども、やはり誰かに読んでもらいたい、何事かを訴えたい、伝えたい、……その為に、このブログを書き続けよう、……という思いも本音だったし今も本音であり続けている。
或る女性に対して自分が感じている「重要な真実」を、どうしても伝えたい、……という切実な思いから始めたのが、このブログだ。
色々な事情があって、
そういう目的を達する為には 「誰も見ていない………ことになっている」形 で記事を進行させるのが最も理にかなっている、という判断から始めたのが現在の奇妙な形式の出発点だった。
インターネットの世界では時として思いがけない経歴や思いがけない能力を持った人物と遭遇する事がある。
35年以上前、東大の工学部を卒業してシリコンバレーで当時最先端のCGプログラムの開発に携わっている若い男性が私に語りかけてきた時の事を思い出す。
インターネットが始まったばかりの頃のネットニュースの世界での出来事だった。
それから少し後、2ちゃんねるの最盛期、私が立てたスレに「ひろゆき」が降臨した事もあった。
先ほど書いた
「自分が感じている『重要な真実』を、どうしても伝えたかった或る女性」
と遭遇したのは今から7年ほど前、既にブログが全盛期を終えつつある頃だった。
30歳前半、いや、ひょっとしたら40歳台?
東京都在住、長身の美人( 自称 )
当時のFXブログランキングで常に1位の座を確保している人気ブロガーだったし「2ちゃんねる」でも専用のスレが立っていて彼女を巡る話題が沸騰していた。
「FXは最初40万円でスタートし約1ヵ月半で300万になりましたが、そこからはロスカットやら自信喪失やらで長い暗黒時代を経験。その後はなんとか暗黒時代を抜けて、現在は都心の一戸建てが2個買えるくらい」
………これがFXに関する当時の彼女の実績という事らしく、それは確かに真実だと感じられた。
東北大地震の際には愛車のハーレーを駆って親友の安否を尋ねて回り、確か1千万円を国に寄付した!………とか!
とにかく非常に変わった、とんでもない性格の、とんでもない女性だった。
私が当時公開していたブログで彼女のブログの紹介記事を書いたら思いがけない形で返信を受けたのが彼女との関わりの始まりだった。
それ以降、彼女のブログと私のブログとの間で展開された「衆人環視の奇妙な勝負」は2年ほど続き、多くの人々が興味津々で成り行きを見護っていたものだった。
2年ほど経過した後、「勝負」は彼女のブログの突然の中断という形で幕切れとなり、私のブログも本当に誰も見ていないブログになって終了せざるを得なくなった。
………中断されていた彼女のブログが活動を再開した事を知ったのは今から3年半ほど前のことだ。
それ以降は彼女のブログに公開・非公開のコメントを私が投稿するという新しい形の関わりが2年近くに渡って続き、一昨年の7月に再び彼女のブログが中断する事によって、その関わりも終了した。
その内容や動機の詳細を簡単に説明する事は不可能だけれど、私には彼女にどうしても伝えておきたい思いや事柄があった。
「どうしても伝えたい思いや事柄」を彼女に伝えるために始めたのが、このブログだった。
私自身の経済的事情からFXを本格的に学ぶ事にした、という経緯もあった。
FXの実力を身に付けて、いつか彼女との「勝負」を再開したいという気持ちもあった。
色々な事情から考えて、最近まで彼女がこのブログを読んでいることは確実のように感じられた。
しかし、昨年の11月末にこの記事をアップして以降、何かが大きく変化し始めた事を私は感じている。
彼女の心が変化しているように感じられる事は確かだ。
けれども、それ以上に私自身の心が大きく変化している、………と私は考えている。
どうしても彼女に伝えたかった思いや事柄は上述した記事を書き終えた時点で伝え終わったのだ、………と今の私は感じている。
それ以降の私の文章は大きく変化した。
その事が私自身の心が大きく変化した事実の何よりの証拠だと今の私は考えている。
……………………… 以上 ………………………………
………………ここまでが、このブログを書き始めてから現在に到る事情の説明である。
今後は彼女に対してだけでなく、彼女を含めて自分に縁があるかもしれない人々に読んで頂く為に、このブログの記事を書いていこうと思っている。
「誰も見ていない………ことになっている」実験的ブログとして。
………という事で今までの記事に一区切りつけて、
このブログを初めてお読み頂く方々に現在の私の生活状態をお伝えする事からスタートして、今後の記事を展開していこうと思う。
この記事のタイトルが何故 「 コンステレーション …… ② 」 になっているのか、という事情も以下の文章をお読み頂けば納得して頂けるのではないかと考えている。
まず、
FXについて言うなら、現在の私はそれをほぼ完全に「理解」できている……と感じている。
もちろん、本番トレードを開始して最低限(月10万円ほど)の利益を確実に得る程度、……という意味での「理解」ではあるけれど、
今の自分に欠けているのは、その理解をデモトレードで確認する為の半年程度の期間と、20万円程度の資金準備だけだ、………と考えている。
しかし、欠けている部分は絶対かつ決定的だ。
20万円程度の投資資金の準備はおろか、あと1ヵ月の生活そのものを維持していく金もなくなっているのが現在の私だ。
私は働き口を探しに職安に行く他はなくなった。
けれども、
その事実より、そうした現実を招き寄せたこれまでの私の生き方の根幹の部分にある考え方やものの感じ方は更に問題だ。
だから、働き口を探しに職安に行く他はなくなった事それ自体は、むしろ現在の自分に与えられた反省的思考に対する絶好の機会なのだと思っている。
しかし、やはり現実は厳しい。働き口はみつからない。
そうした絶体絶命とも思われる窮地の中で救いの神とも思われる最初の募集先が現れて面接にまで漕ぎ着ける事ができた。
奇跡的とも思える状況に私はコンステレーションを感じていた訳なのだが、………
最初の面接は失敗に終わり、
前回の記事に書いていた2回目の面接も失敗に終わった。
運命の女神は更なる反省を私に求めているのだ。
最近の私は失敗する度に自殺を考える。
漠然としてではなく非常に具体的に身辺の整理を初めとして遺書の内容や死出の旅路のルートの確認から必要経費の算出と確保、出発日時の想定……等々、死に到るまでの詳細かつ周到なプログラムを工夫し続ける。
以前から分かっていた事だが、
死に向う具体的な準備をする事は、死に対する漠然とした恐怖を克服する上で最高の手段だという事実を改めて確認させられる。
死というものを具体的に身近に詳細に観察する度に、訳の分からない不思議な気力が私の心身の底から湧き上がって来る。
しかし、その気力は本物なのだろうか?
今現在の私には別の面が見えてきている。
今まで受けた2度の面接に失敗した後の自分の心の動きを振り返って見えてくる事がある。
死の準備をしている時の私は非常に傲慢な心理状態にいたのだ、という事だ。
その時の私は、
死を恐れない自分に陶酔していたのだ、………としか考えられない。
誰からもまともに相手にされなくなってしまったのは、過去から現在までに到る私自身の行動の当然の結果であるにも関わらず………。
そうした事実を棚に上げて
自分の弱さ愚かさ醜さを認めようとせずに自分の言い分は絶対に正しいという思い込みの只中にいた。
このブログを書くという行為も、そのような自己正当化の為の重要な手段だった。
今まで見えていなかった自分の弱さ愚かさ醜さが本当に見えてきて、分かってきて、納得できた時、………
自分に与えられた「コンステレーション」を本当に正しく感じ取り理解し、それを受け入れる事ができた時、………
何故か不思議な出来事が起こって、その事を知らせてくれる。
………そんな小さな何気ない出来事が先ほど私の身に生じた。
………事実を言ってしまえば、
最近どうしても直すことができなかったパソコンの不具合が何故か急に回復した、………というだけの事なのだけれど、………。
それが私には、どうしても不思議な偶然としか感じられないのだ。
いままで絶対に認めようとしなかった自分の弱さ愚かさ醜さを本当に理解し受け入れる気持ちになった時、何故か突然パソコンが不具合から回復してくれた………というだけの事なのだけれど。
その小さな出来事が私には神の赦しの現れとしか感じられない。
私は今、極めて自然な当たり前の事実として自分に与えられた「コンステレーション」を受け入れる事ができる。
このブログを始める動機を与えてくれた女性に対する最後のメッセージを伝え終えた直後から私は自分に与えられた新しいコンステレーションの只中に入り込んだに違いない。
いや、宇宙にも例えられる広いインターネット空間上で、このブログを始める動機を与えてくれた彼女と出会ったという7年前の偶然こそが私の人生に与えられた最大のコンステレーションなのかもしれない。
このブログを、ここまで書き進めてきた今、
目の前に見えている非常に困難な世界情勢と
ここに到る原因となっている人間という存在の本質を考える時、
私は近未来の日本社会に於いてプロの物書きとしての立場が自分に与えられる時が来ることを切に願わざるをえない。
生き続ける事さえ出来たなら………。
何等かの形で生き抜いて、このブログを書き続ける事さえ出来たなら………。
生き抜く事によって、今までの自分に欠けていた現実面での生活能力を獲得する事さえ出来たなら………。
……………………… 再び 以上 ………………………………
最後に前回の記事で紹介した「コンステレーション」に関する3つ記事の中の一つのリンクを再掲して今日の記事を終了したい。
個人は誰でも自分に与えられた物語としての「コンステレーション」の中を生きている。
人によって、その事実を自覚するしないの違いはあるけれど、………。
………………………………………………………
どのような結果に終わるとしても、私は自身が感じ取り理解した「コンステレーション」を生きていくほかはない。
…マッティナータ(朝の歌)
………background music………
マッティナータ(朝の歌)
マッティナータ(朝の歌)の説明
対訳歌詞
ルチアーノ・パヴァロッティが歌う★マッティナータ(動画)★
アンドレア・ボチェッリが歌う★マッティナータ(動画)★
全盛期の三大テノールが歌う★マッティナータ(動画)★
イル・ヴォーロが歌う★マッティナータ(動画)★…音量に注意…
韓国のテレビ放送番組で歌われている★マッティナータ(動画)★
シン・ヨンオクが歌う★マッティナータ(動画)★
韓国の無名ソプラノ歌手が歌う★マッティナータ(動画)★
ジュゼッペ・ディ・ステファーノが歌う★マッティナータ(動画)★
ユッシ・ビョルリングが歌う★マッティナータ(動画)★
ジョーン・サザーランドが歌う★マッティナータ(動画)★
山口佳子が歌う★マッティナータ(動画)★
韓国テナー・日本テナー・香港テナー・・の3人グループが歌う★マッティナータ(動画)★
素人(多分アメリカ人)が歌っている★マッティナータ(動画)★
素人の女の子(イタリア人)が歌う★マッティナータ(動画)★
黒人歌手が歌う★マッティナータ(動画)★
ニコラ・ベネデッティとジョセフ・カレハの共演で★マッティナータ(動画)★