先週の17日(火曜日)から20日(土曜日)までの日々は私にとって命を賭けた4日間だった。
提案を巡る妹との交渉は困難を極めたけれど、自分が出来る限り説得の努力を続けた。
努力の結果に対する拘りは全くなかった。
文字通り「御心のままに」……という気持ちで妹の決断を待った。
私の説得力などは高が知れている。
それよりも妹の人柄によるところが大きいとは思うが、………
幸いにも20日(金曜日)に彼女の承諾を得る事が出来た事の意味は語りつくせないほど重大だ。
………当然だろう、
妹が7万円を出してくれなかったら遅くとも今週の25日(木曜日)に私が死出の旅路へと出発する事は確実だったのだから………。
だがしかし、………
………こんな事を言うと妹に怒られてしまうかもしれないけれど、………
妹の承諾以前に
あの4日間の「命を賭けた説得の努力」という体験それ自体が私にとって別の意味で語りつくせないほど重大な意味を持っている。
いや、それだけではない。
昨年末からの約1ヵ月間に渡る絶対的弱者としての社会的経験全体の重みを今の私はしみじみと感じている。
過去数十年に渡る自分の生き方の問題点を根本的なところから問いただされ続けた1ヵ月だった。
妹との厳しい交渉を続けていた4日間は、その経験のクライマックスに他ならない。
優しさ、同情、厳しさ、冷淡さ、無関心、………様々な人々の様々な反応や対応に人の心の真実を感じ続けた1ヵ月でもあった。
倒産した経営者とか、重要な役職から追放された政治家とか、年老いて家族全員から見放された家長とか、………
絶対的弱者としての社会的経験の苦しみは、それを実際に体験した者でなければ決して分からない一面がある。
その重さに耐え切れずに自殺する人も数多くいる。
………………………………………………………
………等と、今の私は呑気な事を言っていられる立場ではない。
妹のおかげで最大限あと1ヵ月弱の生存は可能になった訳だけれど、その先の保証はない。
再び、
だがしかし、………
自分の生存が可能かどうか、
そんなところに問題の本質がある訳ではない。
私は自分が信ずる武士の道に生き、死んでいく覚悟を固めている人間だ。
妹といえども他人の情けにすがってまで生き続けるつもりはない。
だから私は妹に1ヵ月のカウンセリングを提案した。
そのカウンセリングに対して
1ヵ月後の妹が7万円以上の価値を実感できなかったら
私は武士として生きていく資格のない人間だと自分の事を判断する他はない。
………こう断言するだけの自信と覚悟があるから私は妹に1ヵ月のカウンセリングを提案したのだ。
今現在の妹が私の提案の意味をどう考えているかは分からない、
………というより分かっているけれど、
その事だけは心に留めておいてほしい、古い奴だと笑わずに。
……………………… 以上 ………………………………
ここまでは24日(火曜日)からこのブログを読み始めているはずの妹に対する伝言であり、
ここから先の文章では、
このブログを御覧頂いている、……かもしれない読者諸氏に対する伝言あるいは提案を行ってみたい。
伝言あるいは提案のタイトルは「創造ネット計画概論 …… 序説 」
「創造ネット計画」全体の内容を極端な表現として言い切ってしまえば
「現在の一般的な日本人の生活意識を根底の部分から変革する事によって日本の未来を切り開く計画」
………とでも言い表す他はない。
とんでもない事を言い出す奴だ、と
お思いだろうけれど
心を静めて以下に申し上げる私の理屈を冷静に考えて頂きたい。
世界の全人口に占める経営者および資本家の比率は決して一定の割合を越える事はない。
日本だけではなく
普通に働いている大部分の一般的な人々の生活意識は
「経営者」のそれではなく「従業員」としての心理心情
「資本家」のそれではなく「労働者」としての心理心情によって満たされている。
こういう状況下に於いて今後の世界を考える時、
全人口に占める実質的な経営者および資本家の比率を飛躍的に高める事に成功した国の未来は非常に明るいものになるはずだ。
高い教育水準、高度に整備されたインフラ、
特殊な歴史を持った独特な国民の気質、
政治、経済両面に於いて追い上げられ追い詰められた国際的な立場、………
あらゆる面から見て
現在の日本は、そういう国へと進化し変身する可能性を秘めている。
全人口に占める実質的な経営者および資本家の比率を飛躍的に高める事に成功した国へと………。
そう私は考えている。
「創造ネット計画」の原点は23年前、1994年2月に書いた「創造する民衆の時代」という論文にある。
それ以降、私は何度も何度も「創造ネット計画」を世に問おうとしてきた。
最初のブログは今から10年ほど前、2006年07月に立ち上げた。
序文はこちら。
このブログは誰からも読まれることなく御覧のように立ち枯れたまま現在に到っている。
その3年前に全盛期の「2ちゃんねる」にスレを立ち上げた経験もある。
この時は或る程度まで盛り上がり、「ひろゆき」が降臨する場面もあったりした。
今から8年前、2009年12月に「21世紀人志向」というブログを立ち上げた時も色々な事情があって、かなり盛り上がり、多くの人々に注目された時期もあった。
自治会にも提案を試みている。
最初の提案は今から組長会提案インターネット見本17年前の平成11年(1999年)
次の提案は
約3年半前の平成25年(2013年5月) 当地方の自治会長を務めた時に行った。
自治会長_新米_はつらいよ
全ての提案が失敗に終わった後、昨年の5月17日に、このブログを立ち上げた。
このブログはこちらの記事にも書いたように、或る女性に向けた、しかもFXに関する考察を主たる目的としたブログとして出発した。
プロのFXトレーダである彼女に「深い教養に裏打ちされた、本物の愛を知っている、本物の女性」になってもらいたかったからだ。
何故か理屈抜きにそう思った。
もちろん、そういう部分もあるにはあったろうけれど、恋愛感情、というのとはちょっと違うと今の私は考えている。
子供のいない私が、
今まで自分が生きてきた過程で得られた「何物か」を確実に伝える事の出来る相手が欲しかったのかも知れない。
彼女は心理的に幼くて社会的に非常に危険な状態にある、……と確信していた、……という事情もあった。
自分がFXをマスターしたら、一緒に「創造ネット計画」を立ち上げて、華のある彼女に代表を務めてもらいたい、という現実的な思惑もあった。
ともかく、自分の全霊を尽して語りかけるだけの価値がある可能性に満ちた女性だと考えていたし、その考えは今も変わってはいない。
そんな意図から出発した、このブログだったのだが、………
この記事を書き終えた時点で、
彼女に関する限り自分としてやれるだけの事はやり尽くした
………という実感が何故か湧き上がってきて、
それ以降、このブログに向う私の姿勢は根本的な部分から変化し始めたようだ。
何故そうなったのだろう?
そろそろ生活資金が底をつき始めている、………という事情もあったのかも知れないけれど、
実際問題として
「上記した記事には彼女に対して自分ができる究極の助言が表現し尽されている」
という判断が最も大きかったと思う。
その時の私は
それ以上、上から目線で彼女に語りかける事が出来なくなってしまっていたのだ。
全体として言える事は、
その時点で、それまでの私が持っていた「人間としての表側の力」は全て使い果たした、………という事なのだと思う。
後は、その「表側の力」の裏にあった様々な問題点が次から次へと浮かび上がって来るのが状況の流れの必然だったのだ、と思う。
………こんな事を言うのは早過ぎるのかもしれない。
しかし、
苦しかった昨年末以降、今日までの1ヵ月は、自分にとって非常に大きな体験を与えてくれた貴重な期間だったと思う。
或る意味では決定的な期間だった、と断言しても良い。
たとえこのままの状態で自死に向わざるを得ない結果に終わるとしても。
今までの自分の人生の裏側にあった問題点の全てを確実に見届けることが出来たのだから。
人の心の真実を見極める事が出来たのだから。
もしも私がFXをマスターした上で「創造ネット計画」の実現に向っての行動を開始していたとしたら、
それは今の私が考えている「創造ネット計画」とは全く別のものとして、別の形をとって進行し展開して行ったに違いない。
そして、何時か必ず破綻の時を迎えたに違いない。
殆ど全ての人々は成功者、実力者、権力者の前では決して本当の姿を見せない。
そして、その事実を自分自身に対してさえ隠し続けている。
人の心の真実は「自分自身を含めた絶対的弱者」の前にしか現われないものなのだ。
未来を切り開く人間の本当の力は、その瞬間に現れた心の真実の中にしか存在し得ないものなのだ。
昨年末から次々に襲いかかってきた困難の裏側にある「コンステレーション」の本当の意味は、この真実を自分に教える事にあったに違いない。
………こういう考えの下に今の私は「創造ネット計画」の実現に向っての現実的な努力を開始しようと思っている。
再び
……………………… 以上 ………………………………
先週の19日(木曜日)、
妹にカウンセリングを提案した時と同じ意味に於いて
今の私は読者諸氏に対して「創造ネット計画」を提案したい。
未来的、実験的ではあるけれど非常に現実的かつ具体的な事業計画である「創造ネット計画」への投資をお願いしたい。
いや、
現段階に於いては投資としてではなく
面白い遊び、或いはゲームに対する代価の支払いという意味で、でも構わない。
困窮してる私の経済状態に対する援助という意味で、でも構わない。
しかし、
それらの「支払い」や「援助」は最終的に「創造ネット計画」への投資に結びついていかなければ私にとって本当の意味は持ち得ない。
それらの「支払い」や「援助」を行っている人々の動機を最終的に「創造ネット計画」への投資に結びつけていく事が、その場合に於ける私の仕事になる、と考えている。
投資、或いは代価の支払い、或いは援助、に関するルールは次回の記事から展開していく予定のプレゼンテーションの冒頭でお示ししようと考えている。