前回の記事の結論は以下の通りだった。
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「具体的に身辺の整理を初めとして遺書の内容や死出の旅路のルートの確認から必要経費の算出と確保、出発日時の想定……等々、死に到るまでの詳細かつ周到なプログラム」を完全に仕上げた後
それを粛々と実行していくこと以外にはありえない。
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………という訳で、
具体的に身辺の整理をする最初の段階として、弟と妹に連絡して「事後処理」の相談を行った。
ありのままに現在の自分の状態を説明して彼等の反応と対応を受け止めながら感じたのは、やはり「コンステレーション」だった。
特に妹は大きな生活の変革の時期に差し掛かっている、………という風に私には見えた。
妹……と言うより、「妹」と「25歳になる妹の息子」の前に開けている巨大な可能性を具体的にハッキリと強く私は感じ取った。
………という事で、
今後の私の行動に関する結論から言うと、
① ……… 妹から7万円の資金援助を受けて、自殺の決行を1ヶ月先延ばしにする。
② ……… その間に週1回のペースで妹と1時間程度の話し合いを行う。
③ ……… その話し合いの結果によって、それ以降の私の行動の基本的な方向が決まる事になる。
妹には妹の考え方があるだろうけれど、
妹との「話し合い」に対する私の意味づけと考え方と姿勢は「彼女に対するカウンセリング」だ。
「彼女に対するカウンセリング」を前提としての「話し合い」を私は妹に提案し、
5日間に渡る断続的な厳しい交渉の後に妹は私の提案に同意し、今日の昼過ぎに7万円を支払ってくれた。
上記の決定についての説明を以下に試みてみたい。
最近の私は自身の生存を賭けて職探しの為の面接を重ねてきた。
最初はハローワークの仕組みさえ知らない全く無知な状態から始まったのだが、………
試行錯誤を重ねる内に、
個人的および社会的な意味での「職探し」という行為の本質を理解するに到って私は職探しを断念(卒業)する事にした。
現在の私にとって、「職探し」は現実社会に対する屈服の第一歩に過ぎない事を痛感させられたからだ。
仮に職を探すことが出来たとしても、本当の能力を生かすことができない手足を縛られた状態の中で自分を見失ってしまう他はない。
若い頃ならいざ知らず。
………それが73歳という年齢の体力的および社会的な限界であり、現実だ。
そういう状況の中で今までの自分の主張の意味や価値を私自身が否定せざるを得なくなる、………と判断した。
………だから私は自死を選択したのだ。
一方、………
73歳の老人の職探し体験には上述したような否定的な見方とは真逆な解釈の仕方もあり得る。
私は今まで社会というものを大所高所から理論的にしか眺めてこなかった。
その私が絶対的弱者の立場から現実社会へのアプローチを続けなければならなくなった訳なのだが、………。
その体験の中で私が得ることの出来た情報の量には莫大なものがある。
何も知らない若者が訳も分からないままに多数の企業への就職活動を続けていた訳ではないのだから、………。
…最初は独立行政法人の地方支部の総務課長氏との面接。
次は200人規模の事業体の経営責任者氏との面接。
3番目は60人規模の企業の経営責任者氏との面接。
………何等かの偶然が重なって私は3つの異なったタイプの事業体の責任者との厳しい面接を体験する事ができた。
面接に向う前には当該事業体に対する徹底的な事前調査をインターネットで行った。
履歴書や経歴書を作成しながら過去の自分の行動の社会的な意味についても徹底的に考えさせられた。
面接の場で得られる情報については以前の記事にも書いたけれど、面接の結果として先方から頂いた反応にも人間的な経験として深く考えさせられる事が多々あった。
………上記した主要な面接以外にも
ハローワークのインターネットサイトでの多数の募集情報の検索と調査と電話での問い合わせといった体験から得られた現実的な情報の量は莫大だったとしか言いようがない。
それら最近の職探し体験の結果として
弟や妹との「事後処理」の為の話し合いを行った時の自分には、過去の理論的な社会理解に裏打ちされた現実社会に対する高度で実感的な認識が蓄積されていた、………はずだ、と私は考えている。
そういう私の前に
巨大な可能性を持っている「妹」と
「25歳になる妹の息子(私の甥)」が
事の本質を理解しないままの状態で現れたのは単なる偶然にしては余りにも出来過ぎている。
私自身の運命の転換点と妹と甥の運命の大きな転換点がシンクロナイズしているのだ、………としか私には考えられない。
或る面では特殊な苦労をしてきた
特殊な感性の持ち主ではあるけれど
全体として妹は慎ましく普通の生活の中で普通のありふれた夢を抱いている普通の女性であり母親だ。
私のような生き方を理解することは出来ないだろうし、私も理解してもらおう等とは思っていない。
それ故に
今回の「事後処理」に関する話し合いの当初に見せた彼女の姿勢は非常に厳しいものだった。
死にたいのなら死んだらいいんじゃない?
弟の姿勢は更に厳しかった。
兄弟は他人の始まり、………と言い
他人の不幸は蜜の味、………とも言うけれど、
弟には私の困窮を喜び私の死を望んでいる気配さえ感じられた。
事ここに到るまでには兄弟家族間の長い長い歴史的な過程が積み重なっている。
………そうした状況の中で私は彼・彼女と話し合いをしなければならなかった。
最終的に妹が私の提案を受け入れてくれたのは
長く厳しい話し合いの末に
我が家の長男としての私の「父母や弟や妹に対する愛」を実感してくれたからだ、………と今の私は感じているし考えている。
それ以上でもなければ、それ以下でもない、………と。
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………というような次第で、
これから1ヵ月に渡って行われる予定の「妹との話し合い」に於いて
私が直感している
「妹」と「25歳になる妹の息子」の前に開けている巨大な可能性は
現在の妹本人には何の意味もない。むしろ危険物だとさえ言える。
それを受け止めるだけの器のない者にとって「巨大な可能性」は「巨大な重荷」に他ならない。
無理に挑戦すれば自分自身だけではなく周囲の人々にも迷惑を及ぼす結果に終わる。
それについては私自身が身をもって体験してきた事だ。
今後の「妹との話し合い」の中で
私は現在の自分が感じている「巨大なコンステレーション」の正体を見極めながら妹と自分にとって最も適した将来を模索して行こうと考えている。
前回お話した三島由紀夫的な意味での「私の自死」を含めて。