実験的行為と常識


 

このブログに関して私が問題だと考えている事柄については

この記事で既に考え尽くしている。

考え方のポイントを以下に引用しよう。

このブログに関して私が問題だと考えているのは次の二点。

………………………………………………………

第一点は、
このブログの中で私が
何度も自殺をほのめかしたり予告したりしている事。

第二点は、
このブログの中で私が行っている事は
新種のストーカー行為なのではないか? …… という疑問。

………………………………………………………

 
第一点については以下の考え方に変わりはない。

………………………………………………………

第一点の問題について自分に弁解の余地はない、………と私は考えている。

自殺は犯罪なのだから、………。自殺は犯罪の予告になる訳なのだから………。
 

ただ、一つだけ主張したいのは

記事を書いた私の目的は以下の2点だった、……という事だ。

①………
自業自得ではあるのだけれど
現在の自分は自殺しなければならない状況に追い込まれている事の説明。


そういう私を
助けてくれる人はいませんか?
………という問いかけ。

 
もちろん、
いい歳をした老人の「甘ったれた」「常識外れの」「お願い」に耳を傾けてくれる人は

読者の皆さんの中に一人もいらっしゃらなかった訳なんだけど、………。
 

私としては

自殺を回避する為に自分が行った可能な限りの努力の一環としてなら

このブログを書き続けた意味は、それなりにあるんじゃないか?

何も言わずに黙ったまま突然自殺してしまうよりは「まし」

なんじゃないか?

………と考えている。
 

あまり名誉なことではないけれど、

その意味でなら、

このブログを自殺に関する一つの情報源として残しておく

………という考え方もあり得るんじゃないだろうか?

………とも考えている。

………………………………………………………

 

これら2つの問題点に対する全体的な結論も変化してはいない。

………………………………………………………

結論は常識的なものだ。

この記事の中で
私は私なりの考え方を主張できる限り主張する。

………その主張に対する判断や判定は
このブログの存続を含めて
現在の読者の方々および一般社会の人々
あるいは国家権力にお任せする。

これ以外にはないはずだ。

………………………………………………………

 

今回の「問答」の中で私が考え続けていたのは主として

第二点
つまり

このブログの中で私が行っている事は
新種のストーカー行為なのではないか? …… という疑問

……に対してだった。

 
この

第二の問題点
つまり

このブログの中で私が行っている事は
新種のストーカー行為なのではないか? …… という疑問。

に対する以前の私の主張の底には

一つの重大な問題が存在している

と今の私は考えている。

このブログの本質に関わる重大な問題が、……。

 

このブログの中で私が行っている事は
新種のストーカー行為なのではないか? …… という疑問。

こういう疑問の立て方、そのものが問題なのではないか?

こういう疑問を立てる事によって
私は私自身を貶めるだけでなく
「共同行為者」としての「彼女」をも同時に貶め辱めてしまったのではないか?

 

実は、それ以前の事情があるのだが、………

既に何度も申し上げた通り

このブログを始めた頃の私の動機はこういう事だった。
 

こういう動機を持った、こういう形式のブログは普通の常識では考えられない。

………そこのところに様々な誤解が生ずる。
 

例えば

もちろん、このブログの中にはストーキング的な表現も含まれている。

………しかし、それは、このブログが持っている多面的な目的の中の一部であり、

しかも、それは固く重苦しい哲学的内容を和らげる為の様々な工夫の一つに過ぎない。
 

………とは言いながら、

この種の問題は扱いが非常に難しい。
 

………今になって考えてみると、

私からのブログの案内に対する「彼女」の応答および対応は見事だったという他はない。

 

私の独創的な提案に対する「彼女」の独創的な応答。

もちろん、その後、現在まで続いている応答にも同じことが言えるのだが………。

 

余りにもノー天気な自画自賛だと言われるに違いないけれど、

こんなところが、このブログに対する現在の私の評価であり実感だ。
 

 
前回の記事に対しても「彼女」からと思われる奇妙(独創的)な応答が寄せられていた。

………それをどう解釈するか?

長い間、私は自分の文章に対する彼女の理解力を過小評価し過ぎていたのではないか?

………最近の「彼女」の応答や反応に関して深く考えてみる時、

そういう風に状況を見直さなければならない、という気分に包まれる。
 

 
ただし、

「彼女」の独創的な応答は彼女の思考能力から生まれたり導き出されたりしたものではない、………と私は考えている。

「彼女」はただ単に、その時その時の直感に身をゆだねているに過ぎない、………はずだ。

一晩に百万円以上を勝ち取る経験を何十回~下手をすると何百回も重ねてきた

凄まじいまでに研ぎ澄まされた勝負師としての直感に身をゆだねているのに違いない。
 

 
一方、

私は、その時その時、自分が持っている思考能力の限界まで物事を考え尽くし

その結果を文章として、このブログにアップし続けている。

………その時その時の私の思考能力の限界は必然的に文章に現れる。

………人間性の限界も。

偽善や浅はかなダマシや卑屈な奴隷根性も、………
 

………それらの限界を「彼女」は決して見逃したりはしない。

「そんなに死にたけりゃ死ねばいいでしょ?」

………………………………………………………

………以上

ここまで

自分の文章に対する「彼女」の応答の独創性について語ってきたつもりなのだが、

考えてみると、

同じ事は皆さんからの応答にも言えるような気がしてきているのは何故なのだろう?

 
真剣に生きている、………という意味では皆さんも「彼女」と同じだから

なのだろうか?

…………………………再び……………………………

………以上、

こんなところで現在の私の思考能力は限界を迎えたようだ。
 

 

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