プロメティウス

まず最初に、
語調が「だ。である。」になっている事へのお許しを請うておこう。

理由は、この記事を読んでいる内に納得して頂けるはずだ、

「皆さん」に語りかけるのではなく単なる独り言としてつぶやかなければならない現在の私の心情と共に。

………という事で、本題に入る。
 

 
前回の記事「死ねませんでした」をアップしてから10日以上の日々が過ぎた。

詳しい説明は出来ないけれど、その10日の間に幾つかの事件があって生活保護を受ける事は不可能になり、現在の私には再び死ぬ以外の選択肢は99%以上なくなっている。
 

具体的で直接的な問題は生活を維持していく上で絶対的に必要な支払いが出来なくなっている事にある。

現在の私は電気・ガス・電話・食費・………全ての支払いが不可能な状態に陥っている。
 

例えば
11日にはクレジットカード会社の怖いお兄さんから「1万9千177円(3月分)を支払ってください」という督促の電話を頂戴した。

クレジット会社は東京方面にあるのだけれど、彼の事務所は当市内、車で15分ほどの場所。

………世の中こういう仕掛けになっているんだ、………という事だけはよく分かった。
 

ここまで来たら本当に残る期間はあと僅か!

長くても、あと4日~5日。

短ければ3日後に迫っている今週末には死に向う以外に私が選ぶべき道はなくなっている。

電気代の引き落としが17日にあるので電気の供給を停止されるのが今は一番怖い。

電気代の場合は供給停止までに1ヵ月程度の猶予期間があるはずだとは思うのだが、………。

それとインターネット回線の停止、………これも怖い。
 

何故こんな事になってしまったのかは最近1ヵ月~2ヶ月の記事を読んで頂けばお分かり願えるかもしれない。

最近1ヵ月~2ヶ月の私は、考える事、やる事、なす事に対する結果の全てが裏目裏目に出てしまい、追い詰められた果ての果てが現在の状況なのだ。 

熟慮に熟慮を重ね、その時その時に自分が出し得る最大限の気力を振り絞った努力の結果が更に思いもかけないほどの悲惨な事態を招き寄せる、……そういう成り行きの連続。
 

………考えてみれば、そうなって当然の理由や原因は確かに存在するのだが、………

苦しみの末に、責められて当然の自分の否を理解し、反省し、

あるべき正しい道を発見し、その正しい道に沿って今度こそ新しい努力を再開しようという決心をしている、この私が、………

決して許される事なく死を求め続けられている。
 

今になって私は何故ここまで厳しい審判を社会、いや、人間や社会を超えた存在から受け続けなければならないのか?

社会、いや、人間や社会を超えた存在から受けている、この厳しい審判を私はどのように受け止めれば良いのか?
 

全ての人間と同じく、私に与えられている運命も結局のところ死しかない事は分かっている。

………しかし、何故それが「今」でなければならないのか?

社会、いや、人間や社会を超えた存在が「今この時」私に要求しているものはいったい何なのか?

ただ黙って「御心のままに」自分の死を静かに受け入れる事なのか?
 

 

 
その様な苦しみや恐怖を抱えているにも関わらず、

この期に及んでも私は平静な精神状態を維持し続け考え続けている。

そういう人間なのだ、私は。
 

普通の人なら重篤な欝状態に陥って思考は完全に停止してしまうに違いない。
 

その時その時によって理由や原因は様々だけれど、若い頃の私は、そういう心身の状態に何度も何度も陥った経験がある。

そういう時期を父母の経済的・精神的な保護の下で自分なりの思考を積み重ねる事によって私は何とか乗り越えてきた。

何度も何度も。

そういう経験を積み重ねる事によって、私は自分の全ての危険な心身の状態に対応でき得る独特の力(知識や知恵や技術)を獲得する事が出来ているのだと思う。
 

 
今現在の私が持っている唯一の財産は、上記した独特の力(知識や知恵や技術)に支えられた独特の思考能力、………それだけだ。

普通の人なら耐え切れずに平常の精神状態を失ってしまうような厳しい状況から逃げ出さずに思考し続ける事。

目の前に存在している厳しい状況を真正面から直視し、その構造を観察し、観察の結果を分析し、……そこから何等かの答えを導き出そうという努力を続ける事。
 

 
上記した私の思考能力が常に正しい、……というか最良の答えを導き出してくれる、という保障はどこにもない。

それどころか、普通の人が普通に考え出すはずの普通の答えから離れた私独特の答えは、

普通の答えからは予想も出来ないような悲惨な結果を招き寄せる可能性さえ含んでいる、………というか、最近1ヵ月の結果を考えてみれば、そういう結果に終わる可能性は常に否定できない。
 

………しかし、
それでも私は私独特の思考によって私独特の答えを導き出し続ける他はない。

最近1ヵ月に体験し続けた失敗の本質についての考察を重ねた結果として得られた新しい私独自の解決策に従って、この記事を書き続ける他はない。

このまま何もせずに黙って死を受け入れる事の意味を理解した、その上で、………。
 

………………………………………………………

以上、
ここまで、この記事を正確にお読み下さった読者の方なら、

今現在の状況下に於いて私が何をしようと決心しているのか、……大体のところは見当がついていらっしゃるはずだ、と私は考えている。
 

例えば、このブログに対する基本方針について、………だけれど、………。

吉野の山奥から逃げ帰ってきた3月6日から今日までの10日間、このブログをどうすべきか、その事を私は考え続けてきた。
 

退くべきか、前進すべきか?

つまり、
或る種の記事だけを残し、他の記事を削除した上で自死するか、

現在までの全ての記事の上に更なる記事を書き重ねて、行けるところまで行ききって最後の最後の可能性に期待するべきかどうか、………。
 

或る意味では退くという選択が最も穏当だし楽な方向だと言える。
 

しかし、
迷いに迷った末に今朝、最終的に前進する決意をした。
 

禅に百尺竿頭に一歩を進むという言葉があるけれど、

現在の私が、このブログから退かずに更なる前進を続けて新しい記事を書く、……という事は決して簡単な仕事ではない。

そもそも新しい記事を書く気力というか精神的なエネルギーが完全に干上がってしまっている。

今朝までの私は、たった一つの記事を書く事さえ不可能にしか感じられなかった。
 

 
迷いに迷った末に今朝、最終的に前進する決意をした。

と言っても
今朝の私に特別の出来事が起こった、………という訳ではない。
 

もちろん全面的に許される事は決してあり得ないけれど

10日前に受けた心の傷が徐々に癒され、

それなりに心身のエネルギーが回復し、

この10日間、考えに考え続けてきた問題に対する答えが自然に一つの方向に結晶し始めたのが今朝だった、………という感じだ。
 

 
今になって考えてみると
迷いに迷った末、最終的に前進する決意をするに到るまでには幾つかの段階を経ている事が分かる。

幾つかある段階の一つとしては、このブログに対するアクセス解析を確認した、という体験を挙げる事ができる。

この記事にも書いているように

今までの私は、このブログを、どれだけの数の人々が読んでいるのか?

ひょっとしたら誰も読んでいないのではないか?

………という非常に重要な疑問点を直視しないまま記事を書き続けてきた。

その辺りの心理や判断について上記の記事から引用する。

………………………………………………………

このブログを「皆さん」が御覧になっていらっしゃるかどうかは、その気になれば簡単に調べる事ができるんです。

このブログが使っているサーバーには例えば次のような事ができるアクセス解析機能がついていますから、……
 

アクセス解析ではWebサイトや各ページへの訪問数、ページビュー数(単純アクセス数)などを知ることができ、また、日別や曜日別、時間帯別、閲覧環境(OSやWebブラウザの種類等)別、所属ネットワーク(ドメイン名や国・地域等)別、参照元(サイト、ページ、検索語等)別、などの形で集計される。
 

………私がアクセス解析をしないのは、今はそれをしたくないから、………というだけの理由からの事です。
 

このブログは私の夢を実現していく唯一の手段です。

多くの人々に自分の夢を語りかける事ができる唯一の方法です。

夢を壊したくないんです。

それに、
今は誰も見ていなくても、誰かが見てくれていると思い定めて諦めずに書き続けて

そのブログを残しておけば、将来、誰かが見てくれる可能性も考えられますし、………。

………………………………………………………

………この辺りに、その頃の……と言っても僅か2週間前の事なのだけれど……私の心の弱さや甘さが明確に現れている。

これでは幾ら意気込んで吉野の山奥まで自殺しに行っても死にきれなかったのは当然だという他はない。
 

ともあれ、
吉野から逃げ帰ってからの私が、改めて思い知らされた自分の本性とか自分が直面していながら眼を背けていた現実問題は数多い。

それらを思い知っただけでも逃げ帰ってきた事の意味はあると言えるのだろう。

………いずれは死に行く定めだとしても、………。
 

 
閑話休題

姿勢を改めた私が直視したアクセス解析の一部分を以下2つのリンク記事として御覧頂きたい。

普通はパスワードを知っているブログの管理者しか見る事ができない記録だが、その一部を敢えて公開したものだ。

3月10日のアクセス統計
同日のアクセスログ

詳しい技術的な説明は省かせて頂くけれど、

これらの記録を観察して分かる事は、1日に140件以上あるアクセスの大部分は検索ロボットからのものである、という事だ。
 

どのアクセスが、このブログ内の、どういう記事を、どういう風に読んでいるのかをアクセスログから読み取る事によって、以上の事柄は明らかになる。

検索ロボットはサイト内のとんでもない部分を読んで(調べて)いたりするのですぐにそれと分かる。
 

 
結論として言える事は以下の通りだ。
 

このブログをまともに読んでいる人は多く見積もっても4人~5人。

CTYネットという地元ケーブル会社のインターネット回線からのアクセスがあるので近隣の人が1人読んでいる事も推測できる。

近隣の人々が最近見せている異様な姿勢の変化も、この辺りに原因があるようだ。
 

一時期の私が信じ込んでいたような「このブログの存在が地元の人々の話題になっている」等ということは100%あり得ない。

その事は、11日に出席した自治会の組長会に於ける人々の様子からも確認できた。
 

以上の結果を見ても私の驚きは殆どない。

そうである事をも想定しながら私は記事を書き続けていたのだから。

むしろ、
4人~5人ではあっても、このブログを或る程度まで「まともに読んで」くれている人々がいる(…らしい)という事実の方に私としては心強い手応えを感じさせられている。
 

私にとって何より大切な事は、このブログ或いは私が言わんとしている事を本気で知ろうという気持ちをもって記事を読んでくれている人が存在しているかどうか、………だ。
 

「創造ネット計画」が実現できるかどうかの別れ目は本当の意味での最初の理解者が出現するかどうか、にかかっていると私は考えている。

最初は1人だけで十分なのだ。

大切な事は、その1人の人が「創造ネット計画」を本当に理解してくれている事、それだけだ。
 

上記した4人~5人の方々が、どういう気持ちで、このブログを読んでいらっしゃるのか、………そこまでは或る程度の期間に渡って閲覧記録を詳しく分析してみないと分からないし、分かろうとも思わない。

………結局は怖いのだ。………それを確認する事が、………。

………その点に於いて現時点での私の心はまだまだ甘っちょろいと判断せざるを得ない。
 

 
………そういう甘っちょろい心の持ち主である現在の私が

このブログを或る程度までまともに読んでいらっしゃる(かも知れない)4人~5人の方々に敢えてお願いしたい事がある。
 

この記事の意味に於いて私に対する投資を再考して頂きたい。

投資と同時に非公式でよいから私に対して皆さんがお持ちの御意見を私に教え伝えて頂きたい。
 

今現在の私は車検証を失ってしまった車の件なども含めて10万円~15万円以上の現金を必要としている。

それだけのお金があれば私の命は1ヶ月間延長できる。

1ヵ月の期間があれば、「創造ネット計画」について皆さんだけではなく将来このブログを読んで頂けるかも知れない多くの人々にとって面白くて意味のある記事を、かなりの量に及んで書き加える事ができる。
 

合計35万円ほどのリボ払いの借金を2つのクレジット会社から抱えてはいるけれど、甲斐性のない私に、それ以上多額の借金などあるはずはない。

個々のリボ払いは各々3年程度の返済なので或る程度の定期的な収入があれば生活を維持しながら返済できる。
 

一方
この記事でもお伝えしたように、現在の私が開始した直後から利益を稼ぎ出す方法は明確に見えてきている。

今までの失敗の体験を生かした新しい営業活動に対する自信は持っている。

その営業活動の前提となるべき地域社会との新しい関わりの在り方についても十分な自信を持っている。
 

以上に述べたように、昨年の暮れ以降の約3ヵ月に渡る非常な苦難の末、現在の私が獲得する事ができている一般的な意味での社会活動に対する能力は、或る程度以上のレベルにまで高まっているはずだ。

健康状態も良好だ。

 
………そういう私が10万円~15万円の支払いができない、という理由から

長くても、あと4日~5日。

短ければ3日後に迫っている今週末には死に向う以外に道はなくなっている。

それも自業自得と言われれば一言も返す事はできないのだけれど、………。

………………………………………………………

………以上、
世間一般の通念から考えたら非常識で無茶苦茶なお願いなのだろうけれど、

現在の私の気持ちのありのままを敢えて表現してみた。

どなたか、私および「創造ネット計画」の可能性に僅かでも理解または興味を示して下さる方はいらっしゃらないだろうか?

………………………………………………………

という事で、

最後に、この記事のタイトルを「プロメティウス」とした件についてのお話しを付け加えて長々とした今回の文章のまとめとしたい。

まず最初にこちらの記事を御覧頂きたい。

もう少し専門的な内容はこちらの記事が参考になる。
 

 
自分の事をギリシャ神話の神である「プロメティウス」に例えるのは傲慢極まりない所業だとは思う。

しかし、

現在の私は普通の人々が耐えられないような状況にも耐えられてしまう、という特殊な能力を持っていて、

それ故に負わされている責め苦が、

不死の神である「プロメティウス」がゼウスから受けた責め苦に余りにも似ていると思って付けてみたタイトル、……… で し た。
 

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