交響曲第40番(モーツァルト) 感想と解説
ノルウェー室内管弦楽団

…第4節…
世界の構造が大きく変化しつつある
21世紀に生きている私達

…第1章…
個人が本当の意味での主人公となる
日本のネクストソサエティへのリンク

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この節内の目次
………
…はじめに…
個人の幸福を決定する国家の在り方
………
…第1項…
次世代技術が齎す様々な可能性
………
…第2項…
可能性の裏側に潜んでいる
危険と困難

………
…第3項…
中国の凄まじい発展と
日本の相対的な凋落

………
…第4項…
中国の凄まじい発展と
日本の相対的な凋落

それらの
原因および構造

………
…第5項…
世界の構造が大きく変化しつつある
21世紀に生きている私達

 

…第1章…
個人が本当の意味での主人公となる
日本のネクストソサエティへのリンク

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..個人の幸福を決定する国家の在り方

 

 

技術の進歩と社会の変化……御諏訪太鼓

…はじめに…
個人の幸福を決定する国家の在り方

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………
まず最初に
タイトル画面に使わせて頂いた動画を
今度は
★こちらのリンク★で最初から御覧頂きたい。
 

これは
今から445年前の日本で実際に行われた
長篠の戦いを描いたものなのだから

当然の事ながら

画面に出てくる鉄砲隊も武田の騎馬隊も
実在した訳だし

当然の事ながら

彼等の一人一人が
自分自身や家族の未来に対する
それなりの夢や希望に基づいた
………
将来へ向っての生活設計
を抱いて
生きてもいたはずだ。

………その事を前提として………

彼等個人個人の幸福と主家の在り方の関係
について考えてみたい。

 

………
自分が仕えている主家
誤った時代錯誤の考え方や基本方針に
陥っている場合、
その個人の運命は悲惨極まりないものに
なる。

彼が描いていた
自分自身や家族の未来に対する
それなりの夢や希望に基づいた
………
将来へ向っての生活設計

全て無に帰する他はない。
 

その意味で

情報革命が引き起こしつつある
激烈な世界情勢の変化についていく事が
できず、
………
時代遅れの考え方や基本的方針を捨てる事
ができずに
現在までの「失われた30年」を闘ってきた
日本の大企業の経営者達は

………
この動画の中で次々と死んでいった
武田軍の武将達と同じであり、
………
そういう大企業に勤めていた人々の
多くも
また同じ運命にもてあそばれた人々だ
という事ができるはずだ、

………と私は考えている。
 

………いや、
それだけではない。

………どうも、過激な表現を止められなくて
我ながら困っているのだけれど、………

情報革命が引き起こしつつある
激烈な世界情勢の変化についていく事が
できず、
………
時代遅れの考え方や基本的方針を捨てる事
ができずに
現在までの「失われた30年」を闘い続けた
あげく完全に戦意を喪失
………
惨めな敗北主義に陥っている一番の張本人

………
他ならぬ日本を率いてきた日本政府
および日本の世論をリードして続けている
旧来の大手メディアそのものに違いない

とも私は感じていて、

その辺りの事情について
………
長い期間に渡って調べ続け考え続けた末に
これこそ真実だと
現在の自分が実感している事柄と

………
その真実を出発点として
これからの私達日本の個人個人が採るべき
基本的な基本的な姿勢について
………
可能な限り面白く
しかも楽しく分かりやすく説明できる
例え話をお伝えする事ができれば、
と思い定めて
………
自分自身も楽しみながら書き続けている
のが
このブログだ。

………

現在の私が主敵として想定している
中国共産党政権の独裁的な手法の弱点は
既に解明し尽くされている。
………
今なら紙一重のところで
日本という国が
時代遅れの敗者である武田軍の立場から
………
時代をリードする織田軍の立場へと

入れ替わる事は
十分に可能だ!………と私は考えている。
………
もちろん
決して戦争等という物騒な手段ではなく
それとは真逆の平和的な手段で、………。

 

………
どこまで行く事ができるのかは
分からないけれど、………
 

過去76年に渡る人生の総決算である

私の現実生活と将来の生活設計

今、まさに

このブログの中で
遂行されると同時に表現されつつある
………と感じている。
 

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日立のテレビCM(2019年)

…第1項…
次世代技術が齎す様々な可能性

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猛烈なスピードで科学技術の発展は進み
それに伴って
私達の生活も急速に変化し続けている。

このように激しく変化していく世界の動き
に対して
最近、第4次産業革命という表現が
使われるようになっているのだ、という。
 

第4次産業革命については
以下のリンクで御紹介する記事と動画を
御覧頂きたい。
 

第4次産業革命って何?
これから日本は何が変わっていくの?

………
★「知らないとヤバい」★
第四次産業革命、現在進行中です

 

………
私が以前アップしたこの記事も
参考になると思う、のだけれど、………
 

こういう種類の社会の変化を囃し立てる
ような情報に接する度に
最近の私は★こんな感じ★
少々うんざりした気持ちになってしまう。
 

しかし、
一度加速度がついた革命を止める事なんか
できる訳はない。

………だから、★こんな歌★でも歌いながら
気楽に世の中の変化を眺めているのが
一番だ、と思っている。
 

………
………とは言っても

第4次産業革命が引き起こすであろう
世の中の変化に背を向けたり逃げ出したり
するつもりは

もちろんない。
 

以前、私がアップしたこちらの記事
御覧頂きたい。

人間の命や心、………いや
全ての生命が持っている生きていこう
とする力

第4次産業革命が引き起こすであろう程度
の環境の変化に負けてしまうほど
やわなものではないはずだ。

地球全体が凍りついたという凄まじい
環境の変化でさえ
それを逆に後の大進化への機会として
利用してしまったのが生命の力
なのだから………。
 

………ところで、………

 

第4次産業革命齎すはずの社会変化を
楽観的に捉えて

★こんな事★を言っている人々がいる。
 

近未来の日本も
そういう社会になって欲しい、なるべきだ

………と私も考えている。
 

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74年前のSF小説「1984年」解説記事

…第2項…
可能性の裏側に潜んでいる
危険と困難

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第4次産業革命齎す高度な科学技術
を悪用して

私達のような一般的個人にとって
最悪な未来を築き上げようとしている政権
がある。
 

しかも、その政権に導かれている人々の
大部分は
自分達が導かれている方向が最悪のものだ
………という事を理解できていない。

それを理解する為に必要な情報が
その政権によって完全に統制され遮断
されているからだ。
 

中国という国は
そういう未来に向って確実に
歩みを進めつつある

………と現在の私は考えている。
 

………
…………………………………………………
………以上、

中国の現状に対して
敢えて非常に過激な言い方をしたのだ
けれど、………

わずか3年ほど前の私の中国に対する認識は
こんな感じ程度のものでしかなく

そこまで真剣に中国の問題を考えていた訳
ではなかった。
 

しかし、
その記事の5ヵ月後にアップしたこの記事
を書いている時に重大な発見をして以来
中国の動きを真剣に注目するように
なりはじめ、

その後、
2018年の4月末にアップしたこの記事では
中国の勃興に対してこのような意味でも
深刻な問題意識を表明するに到っている。
 

………
事態が大きく変化したのは
私が上記の記事をアップした僅か5ヵ月後
の事だった。
 

一昨年、2018年の10月4日に行われた
ペンス副大統領の演説
それまでの中国に対するアメリカの態度を
180度反転させる歴史的な内容だった。
 

考えてみれば
これはアメリカにとって極めて当たり前の
対応だ。

近年の中国は以下のような挑戦状を
アメリカに対して突き付けるところまで
思い上がっていたのだから、………

………………………………………………
………
中国製造2025
………
一帯一路
………
中国が主張する九段線
………
………………………………………………

それ故に

インターネット上で得られた情報を中心に
様々な事象に対する判断を下している私
としては

これで堪忍袋の緒が切れなければ
アメリカという国はどうかしてしまって
いる、としか考えられないし
………
これまでの経緯を眺める限り
ペンス演説に端を発したアメリカと中国の
闘いは
どう考えても中国共産党政権の敗北という
決着に至る以外の終わり方は
考えられない

………のだけれど、………

現在の日本政府や
新聞・テレビ等の大手マスコミは
中国に対して非常に甘い見方をしている
ように感じられる。
 

………
インターネット上で主流になっている
中国に対する厳しい見方や感じ方と

現在の日本政府や
新聞・テレビ等の大手マスコミの
中国に対して非常に甘い見方、………

どちらが正しいのだろう?
 

私としては
ここは様子見するしかない、
と考えている。
 

………
様子見、と言えば

昨年の2月に韓国の問題について色々と
考えていた時に書いた文章があるので
それを御覧頂きたい
 

米中問題も
これと同じように考えれば良いのだろう。
 

…………………………………………………
………という事で、

上記でリンクした記事の文末には
韓国、………というよりベネズエラ関連の
情報を付け加えたのだけれど、

この記事では
以前の記事で御覧頂いた2つの記事と
最近になって出会った
小さいけれど印象的な動画を御紹介して
まとめとさせて頂こうと思う

………………………………………………
………
「&お花畑」の国
に忍び寄りつつある
「静かなる侵略者」

………
「とんでもない女性」を発見!
………
★初心者は絶対行ってはいけない国★
………

………………………………………………

 

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ハイテク都市深センで考えたこと

…第3項…
中国の凄まじい発展と
日本の相対的な凋落

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先ず最初にこの記事からお借りした
こちらの図を御覧頂きたい。
 

ここには
1960年(昭和35年)から2017年(平成29年)
に至るまでの
世界の主要国の名目GDPの推移がグラフ
として表示されている。

このグラフを眺めることによって、
過去40年に渡る世界各国の経済規模が
どのように変化してきたのか、を
ごまかしようのない現実として
一目で見渡す事ができる。
 

………

目立つのは
アメリカという国の抜群の成長力と共に
2007年頃から始まっている
中国の異常とも言えるほどの経済成長
および
日本の長期に渡る経済的な停滞現象だ。
………
この状態のまま推移すれば
日本は中国やアメリカは言うまでもなく
世界各国からも取り残された弱小国家に
転落して行くに違いない。

 

どうして、何故こうなったのか?

ここから立ち直る為に日本という国は
今後
どのような努力を重ねていくべきなのか?

………というような事柄について
私が考えているシナリオは後ほど詳しく
お話ししようと思っているのだけれど、
 

この項では上記した現象の内の

中国の異常とも言えるほどの経済成長
および
日本の長期に渡る経済的な停滞現象

を読者の皆様に実感として味わって
頂く為に
幾つかの動画を御紹介したい。
 

 


グラフの出発点である1960年(昭和35年)頃
の日本は★こういう時代状況★の中にいた。
………
一方の中国の上海は★こういう状態★であり
国全体は★こういう状態★に陥っていた。
………
………
事態が大きく変化したのは
1978年に始まった★改革開放★からだった。
………
その頃の日本は★こんな空気感★の中にいた。
………
………
その後
1989年(平成元年)に起きた★天安門事件★
2008年の★リーマンショック★を経て
現在の中国と日本は以下で御紹介する動画
のような状況にある。

………
………
重慶
★観光案内★……★中心部★
日本商工クラブ………画像検索
★ロープウェイ★……★モノレール★
………
上海
★高層ビル★……Wikipediaの解説
★観光案内★……画像検索
………
大連
★公式プロモビデオ★……Wikipediaの解説
画像検索……★大連~丹東高速鉄道★
………
★珠海★……珠海市
★杭州市★……Wikipediaの解説
………
★アジアの都市ランキング★
………
………
外国人材最前線
★…①…★……★…②…★……★…③…★
………
★働かないおじさん★……★東京貧困女子★
★子供部屋おじさん★……★お金と幸せ★
………
「貧困パワー」との闘い
★激怒 若者貧困化★

 

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中国の橋梁建設

………

…第4項…
中国の凄まじい発展と
日本の相対的な凋落

その
原因および構造

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以下のリンクから御覧頂く2つの動画には
このグラフが示している現実がハッキリと
表現されている。

★こういう都市★
23年後には★こういう都市★
変貌している現実を、………。
 

このような中国の凄まじい発展と
日本の相対的な凋落の原因および構造
について
最も基本的なところから分かりやすく
説明してくれる本
を御紹介したい。

………と言うより
この本の中で私が強く共感した部分を
ほとんどそのまま引用させて頂こう
と思う。

こういうやり方は
著作権上は非常に問題があるのだけれど、
………

検索エンジンの結果表示を拒否している
環境の中で
とりあえず今は
現在この記事を御覧になっていらっしゃる
方々に限定してお伝えする事にして

後ほど私自身が納得できる記事に
差し替える、という事でお許し願いたい。

…………………………………………………
引用文の目次
………
…A…
日本の経済成長モデルと
中国の経済成長モデルとの違い

………
…B…
「日本企業に学べ」の失敗
………
…C…
天安門事件が中国の戦略を大転換させた
………
…D…
日本は先生役から仮想敵国扱いへ
………
…E…
中国政府にとっても
アメリカ企業にとっても
非常に居心地の良い関係

………
…F…
アメリカが日本に対して仕組んだ
「円高」と
中国に許した「元安」のからくり

………
…G…
米中経済同盟の完成
………
…H…
希代の戦略家
鄙小平が世界経済の構造を変えた

…………………………………………………

 

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…A…
………
日本の経済成長モデルと
中国の経済成長モデルとの違い

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日本の戦後の経済成長は
日本の労働による日本人の資本を使った
日本企業の成長でした。

トヨタもソニーもホンダも
全て日本資本の企業で
日本でモノを生産し
それをアメリカを中心とする
先進諸国に輸出して外貨を稼ぐという
ビジネスモデルで成長してきたのです。

国内の企業が
海外のマーケットを利用して
成長することで日本は外貨を稼ぎ
それを国内のインフラ整備に投じ
国全体として経済成長を遂げていきました。

名神、束名といった高速道路をつくり、
新幹線をつくり
太平洋ベルト地帯を中心に製造業の集積を
つくることで製造立国を実現させたのです。

これがいわぱ20世紀型の成長モデルでした。

それを可能にした前提が
共産勢力との対抗上
地政学的に日本を必要とし
日本の成長を助けるために自国の市場を
提供したアメリカという大国の存在であり
それを象徴するのが日米軍事同盟でした。

 

この戦後日本型の経済成長を遂げた国
としては、
日本を筆頭として
他に台湾、韓国があります。

自国企業による、自国民の貯蓄を使った、
自国生産による輸出型成長で
これが日本がチャンピオンになり
芸術的領域まで高めた戦後型のパターンの
経済成長です。
 

ところが中国、インドを始めとする
現在のBRICSの経済成長の過程は
日本とは全く賢なるものです。

特に中国の経済成長は
まず「外資」、海外企業による投資を
大量に受けていることが特徴です。
 

戦後の資本主義国では他に例がないような
経済開放を鄧小平の中国は実行しました。

それは「外国企業を自国企業より優遇する」
というもので
かつての植民地のような従属的な国以外で
自主的にそれを行った前例を私は知りません。
 

外資企業の生産基地として
自国の土地と人民を提供し、国内で生産し
海外に輸出してもらう。

世界のトップ企業の資本力、生産設備、
生産ノウハウ、ブランド、販売力、
経営者まで含めて全て入ってもらう。

白分たちは労働力と土地の提供だけでいい。

そういうところから
中国の本格的な工業化は始まりました。

それによって生産技術を学び
経営手法を学び
同時に国内市場の発達と資本の蓄積を
行っていったのです。
 

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…B…
………
「日本企業に学べ」の失敗

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もちろん中国にしても
建国当時から外資を利用して成長しよう
としていたわけではありません。

毛沢東が君臨していた1976年までの中国は
外国に対してきわめて閉鎖的な国でした。

とくに
資本主義陣営の中心であるアメリカを
覇権主義として警戒していましたから
中国に進出したアメリカ企業は
例外的な存在でした。
 

毛沢東が死去した後中国の改革開放政策は
79年に鄧小平が政権に就いて
すぐに始まりました。

初期から80年代末までの約10年間
鄧小平やその下の趙紫陽、胡耀邦が志向
したのは自力での成長でした。

そのための方法論は一言で言えば
「日本に学べ」でした。
 

日本の高い生産技術を学んで
中国の国営企業をソニーやトヨタや新日鉄
のような立派な企業にしよう。

だから日本に学びに行けと言って
いろいろなセクターから日本に研修に来たり
社会党の村山富巾氏を呼んで交流したり
そういうことをしていました。
 

あの時代の中国にとって
いわゆる中華圏以外での経済交流の相手国
としては、日本が群を抜いてトップでした。

80年代までの日中関係が非常に友好的
だったのは
そういう背景があったからです。
 

けれどもこの「日本に学ぶ」という政策は
最終的には見事な失敗に終わります。
 

労働力も土地も安いですから安い製品は
作れるけれども
世界の市場で戦える品質の製品は
どうしても作れなかったのです。

アメリカのマーケットで
トヨタ以上に売れる車が中国独力で作れ
ますか、
と言われたら「ノー」だったのです。

松下電器以上の家電製品が作れますか、
ソニー以上のプランドがありますか
と言ったら、どれも無理でした。

品質は低い、マーケティングもわからない
資本力もありませんということになると、
世界の市場には全然通用しません。
 

そこに天安門事件が起きてしまいました。
89年6月4日のことでした。

天安門事件は
西側メディアでは国民による共産党への
民主化要求運動とされています。

北京の市民が100万人も参加した
と言われていますが
彼らが本当に求めたものは政治の民主化だけ
だったのでしょうか。

当時の北京市民が
もっとも不安と不満を抱いていたものは
生活苦です。

89年の北京のインフレ率は20%もあって
失業率も非常に高かった。

経済が行き詰まっていたのです。

それに加えて官吏の不正も横行していた。
そこで市民の不満が爆発してしまったのです。
 

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…C…
………
天安門事件が中国の戦略を大転換させた

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天安門事件は
中国共産党にとって建国以来の危機でした。

天安門事件で国民の経済的不満が爆発
するのを目の当たりにした鄧小平は
ここに至って
「経済成長をして国民の生活を向上
させない限り共産党支配も続けられない」
と悟ったのです。
 

もう一つ
「日本型の経済成長をまねしようとしても
中国の場合はうまくいかない」
ということにも気がつきました。

いくら中国の国営企業が日本企業をまねても
自力で世界的企業になることなどできない、
と冷徹に判断したのです。

鄧小平は中国独自の成長の方法論を模索し
最終的に組むべき相手はアメリカである
と見据えました。
 

その結果出てきたのが92年1月の
南巡講話です。

この演説の内容は一言で言えば「実利優先」
ということです。
「白い猫でも黒い猫でも
ネズミをとる握はいい猫だ」と
言い切りました。

イデオロギーより国民の生活を優先する
という立場を公式に表明したのです。
 

鄧小平は
「アメリカとアメリカ企業に接近する」という
明確なミッションを
後継者候補であった江沢民に与え
江沢民はその目的の下にクリントン政権に
接近していきます。

93年に総書記として初訪米し
シアトルでクリントンと会談。

95年にはニューヨークで、
96年にはマニラでと
毎年のように会う機会を設け

ついに97年10月には、ワシントンで
クリントンの口から米中の関係を
「建設的・戦略的パートナーシップ」
と規定する公式宣言を取りつけます。

89年の天安門事件から8年間で
完全にアメリカとの関係回復を実現したのです。

そしてアメリカを中心とする世界企業を
中国という国家の中に取り込んでいきました。
 

鄧小平の改革開放とは
ひらたく言えば

「外国企業のみなさん、
我が国は税金が無料です。
労働組合もありません。土地も安く貸します。
優秀な労働力を安く
ふんだんに供給しますがら、
どうか進出してきてください」
という内容です。

こうした実利優先の姿勢は
同じように利益を最優先する
アメリカ企業の経営者たちに強くアピール
しました。

特に日本、韓国、台湾といった
アジア系企業の攻勢に苦しんでいた
アメリカ企業は
米中の政治的関係が安定したこともあって
安価で優秀なアジアの労働力を求めて
92年以降一斉に中国に進出していきます。
 

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…D…
………
日本は先生役から仮想敵国扱いへ

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同時期に江沢民は国内で
徹底的な反日教育を始めています。
九・一八歴史博物館……★Youtubeの動画★
 

鄧小平が
アメリカを中心とする外資系企業の誘致に
向かったことは
同時に「日本に学ぶのはやめる」という
ことも意味していたのです。
 

98年に江沢民が日本を訪問した際には
92年の初来日のときの友好ムードとは一変し
天皇陛下との晩餐会にも人民服で現れ
わざわざ歴史問題を取り上げて
「日本が中国に対し過去いかにひどい
ことをしてきたか」と演説したりした。
 

………
これら一連の行動は
明らかに意図的なもので
アメリカと日本の扱いに差をつけ
両国の間にクサビを打ち込む目的で行われた
としか言いようがありません。

アメリカに対しては
「我々は共産主義と資本主義という関係
ではない。
第2次大戦をともに戦った戦友で
日本は共通の敵国である」とアピール
しました。
 

そうした対外イメージ戦略に加え
中国国内でも「今日の中国があるのは
大陸を支配しようとした日本を
共産党が撃退したおかげである」として
日本を共産党支配正当化の道具
としたのです。
 

………
鄧小平と江沢民は
経済優先で外資導入を決断する一方
政治の民主化要求は黙殺し

共産党一党支配を堅持しようとするため
日本を仮想敵国にすることによって
共産党に対する不満を日本に向けさせる
戦略を採りました。
 

経済成長の過程では
必然的に国民の問に経済格差が生まれます。

そのことに対する不満も
仮想敵国である日本にそらしてゆく。

そういういくつもの目的を同時に達成する
ために反日教育を行い
それによって
日本は中国国内で80年代の先生役から
90年代には仮想敵国扱いにされてしまった
のでした。
 

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…E…
………
中国政府にとっても
アメリカ企業にとっても
非常に居心地の良い関係

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93年の南巡講話以来の改革開放政策は
それまでの農村から始まり
農民の生活レベルを底上げしようという
アブローチとはある意味で正反対でした。
 

いわゆる先富論で輸出基地に適した
沿海部に集中投資してインフラを整備
工業化し
まずその地域を豊かにしてゆく。

それを実現させてから
内陸部を含む全土を先行する
沿海工業地域が引っ張り上げる形で
経済発展させてゆく。
 

全人民か平等でなければならないという
共産主義の考え方は捨て
チャンスのある人から先にお金を諸けて
豊かな生活を享受することを
党として公式に認めました。
 

その富はアメリカ、欧州連合(EU)
日本といった先進資本主義国への輸出
によってもたらされるので
人民元の為替レートを安く保ち
低い生産コストを売り物にして
外資の進出を促すというパターンです。
 

税金も土地代もただ同然の
中国の開放特区に進出したアメリカ企業は
そこで生産した商品をアメリカを中心に
世界各国に販売し
大きな利益を得るようになります。

それは中国政府にとっても
アメリカ企業にとっても
非常に居心地の良い関係であったと言えます。

つまり、日米間と中米間の貿易関係は
アメリカ側から見れば全く別物なのです。
 

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…F…
………
アメリカが日本に対して仕組んだ
「円高」と
中国に許した「元安」のからくり

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両者の違いをもっともよく表しているのは
為替レートの推移でしょう。
 

アメリカは第二次大戦後
共産諸国と軍事的に対立し
世界における自国の軍事的な覇権のため
日本を必要としたわけですが

アメリカの産業界から見れば日本企業は終始
アメリカの消費者という
自国市場を奪いにくるライバルであり
敵でさえありました、
 

それゆえに日本は経済成長のプロセスの中で
何度となく為替レートの変更を迫られ
1972以来、ドルに対して年を追うごとに
円高が進行する状況を受け入れざるを
得ませんでした。

戦後の1ドル=360円の固定相場から始まり
変動相場制に移行して
70年代には1ドル=207円まで円高となり
プラザ合意のあった85年以降は
上のグラフのようにさらに加連して
95年には一ドル=80円を切るまでになった
のです。
 

………
ことほどさように日本の通貨である円は
対ドルでは上昇を続けました。

しかしアメリカは
中国の人民元に対しては全く違う扱いを
しています。

中国の人民元は中国当局によって
為替管理を受け
対ドルレートを固定しています。

そしてそのレートはごく最近まで
終始その通貨の実際の価値を表す
購買力平価(PPP)からみて
圧倒的な元安を維持し続けてきたのです。

日本に対してはあれほど強硬に
円の切り下げを迫ったアメリカ政府が
なぜ中国に対しては
こうした人為的な元安誘導を許容してきた
のでしょうか。

それは元が安い方がアメリカ企業にとって
さらにはアメリカ政府にとっても
都合が良かったからです。
 

………
人民元が安いということは
中国に進出して製造工場を置いている
アメリカ企業にとって人件費が安い
ということであり、不動産コストが安い
ということです。

進出企業は中国で生産した製品を
アメリカ始め世界各国で販売して利益を
得ています。

人民元か安ければ安いほど
生産に要するコストは低減し収益が上がる
構造なのです。

確かにマクロ的に見れば元が安いことが
中国の輸出に有利に働き
その結果、中国の貿易黒字
アメリカの貿易赤字が拡大していきます。

けれどもそれはアメリカにとっては
大きな問題ではありません。
同じ赤字であっても
対日貿易赤字の場合とは全く性格が異なる
のです。

中国との貿易で
アメリカに貿易赤字が積み上がってゆく
のを見て
「アメリカ経済は貿易赤字で破綻する」
といった予測をした人はたくさんいますが
全くの間違いです。

貿易赤字で国家が破産するのは
相手国企業か貿易による利益を持って
いってしまう場合に限ります。

仮に中国企業が
生産した商品をアメリカで販売し
自国に全ての利益を持ち帰ってしまうのなら
対中赤字は大問題になっていたはずですが
実際には利益を得ているのは
アメリカ企業なのです。
 

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…G…
………
米中経済同盟の完成

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多くのアメリカ企業が
中国にある工場でつくった製品を
本社のあるアメリカで販売しています。

一つの会社の営業部門と製造部門の間で
モノと資金が移動しているだけなので
輸出入にかかわる代金についても
未払い等の決済問題は発生しません。

それによって得られた利益は
アメリカの本社に計上され
アメリカ政府や州に税金の形で還元される
のです。

この交易を通じて
生産コストを抑えることに成功した
アメリカ企業の競争力は高まり
収益は増していきました。

ということは企業の株価が上昇することを
意味します。

アメリカ国民は年金運用等さまざまな形で
自国企業の株式を大量に保有しているので
株価が上がれば
国民の資産も増えてゆきます。

個人の金融資産が増えると
それに伴って個人消費も増え
アメリカ国内の消費が増えれば生産が増え
雇用が増え、GDPが増える。

良いことずくめなのです。
 

対日赤字の場合は
その交易による利益は輸出元である
日本企業に行き
そこから日本人従業員や株主に還元され
日本の政府や自治体を潤すことになる。

ところがアメリカ企業が
工場を中国に出した場合の対中貿易赤字は
裏側から見ればアメリカ企業の利益であり
究極的には
アメリカの従業員と株主と消費者の利益に
還元され
アメリカ国民とアメリカ政府を潤すことになる。

ここが対日赤字と全く違うところです。
 

中国から見れば、白分たちが苦労して
外国に輸出できる企業を起こさなくても
外国企業の努力で雇用が増え労働賃金が
入ってくる。
不動産に対する賃料も入ってくる。

外国企業の利益を生んでいるとはいえ
輸出が伸びれば外貨を稼ぐことができる。

外国企業の外貨は吸い上げて
元と交換しますから外貨準備が増え
国家としてはお金持ちになるわけです。

さらにそれらのお金は中国国内に回って
さまざまな市場を発達させ
中国経済の成長の原動力となるのです。

いわば本当の意味の「Win-Winゲーム」
(参加しているメンバーが
ともに利益を得るゲーム)です。

過去10年ぐらいの間に本格的に動き出した
このメカニズムによって
ドラッカーが前提としていた
「発展途上国を搾取する先進国」
という世界は過去のものになったのです。
 

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…H…
………
希代の戦略家
鄙小平が世界経済の構造を変えた

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現在の世界の経済構造が自然に生まれた
という考えは間違いです。

世界の新興国にとって
かつて貧しさは弱さでした。

ところが今は貧しさは安さであり
武器なのです。
貧しさがかえって強さになっています。

安い為替レート、安い労働力、安い不動産
そして資源。
そうした要素を持つ国の経済が
非常に伸びる時代になった。

それを生み出したのは
鄧小平の改革開放政策です。

旧ソ連のように
市場主義経済を導入したために
経済が一度は崩壊してしまった国家
もある中で
中国は共産党政権下で市場主義への適応に
成功しました。

それは偶然でもなんでもなく
革新的な政策を実行した結果です。

政治の民主化を進め国営企業を
解体・民営化したロシアの経済は
90年代を通じてどん底に沈み
GDPは激減し国民は困窮に苦しみました。

一方の鄧小平は
共産主義国家の指導者でありなから
資本主義経済を勝ち抜くために
外国企業を誘致し
国家経済を破綻から救出することに成功
しました。

日本のように外資をハゲタカ呼ばわりする
代わりに
「一緒に儲けよう」と呼びかけて
国営企業を変える代わりに
世界に通用している外国企業に自国に
来てもらい人と金を入れさせ

資本主義経済の下で生きてゆくために
必要な技術とノウハウを
それまで全くその素地がなかった中国に
移転させたのです。

この大逆転の発想があったからこそ
世界経済の構造は劇的に変わったのです。
 

こうした政策は
日本であれば
「そんなことをやれば日本の企業が
全部つぶれてしまう」
と反対され、決して採用されなかったはず
です。

実際、外資の導入によって
それまで中国経済の主役であった国営企業は
軒並み経営が悪化し
莫大な額の不良債権を生むことになりました。

しかし不良債権の処理については
政府が面倒を見て
輸出貿易で稼いだ富を使って財政で
損を消してしまえばいいという発想で
整理しました。

そしてその際にも
外資系の金融機関の協力を得て経営改革を
実行し
いつの間にか国営り企業も銀行も
世界の時価総額ランキングに名を連ねる
巨大企業になってしまったのです。
 

そして中国の成功を
今度は世界中の新興国がまねするように
なりました。

中国を見本として
それと同じ発展の道をたどり始めた国が
東アジアならベトナム、中東ならトルコ、
ヨーロッパなら東欧など
いくっも出てきています。

いずれの国も、最初は労働コストの低さを
生かして外国企業に製造拠点を提供し
国民の生活水準を向上させつつ
国内に資本を蓄積してゆくというステップに
踏み出しています。

私が「米中経済関係、実質的な経済同盟
を見なければ世界経済はわからない」と
繰り返し書くのも、
それが世界経済を根本から変えてしまった
からです。

89年のベルリンの壁崩壊は
世界のビッグニュースとなりましたが
ソ連がロシアとなり
東西対立がなくなったから
世界経済がここまで変わったわけでは
ありません。

世界経済を変えたのは
共産主義の看板を下ろしたゴルバチョフの
ロシアではなく
共産党独裁という看板はそのままに
中身を限りなく資本主義経済に近づけた
鄧小平の中国だったのです。
 

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「与作」Wikipediaの解説
Youtube内の「与作」

…第5項…
世界の構造が大きく変化しつつある
21世紀に生きている私達

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この項内の目次
………
…A-1…
過去30年に於ける世界の構造と
中国に対する幻想

………
…A-2…
中国の野心に対する
世界の覚醒と日本

………
…A-3…
近未来の世界に於いて
あるべき日本の姿を求めて

………
………

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「中国の夢」(Wikipediaの解説)

…A-1…
………
1972年以降に於ける世界の構造と
中国に対する幻想

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前項では

中国の凄まじい発展と日本の相対的な凋落
および
それらの原因および構造

について
詳しく分かり易く説明してくれている著書
の一部を引用させて頂いた。
 

引用部分の内容は以下のように要約
する事ができる。

米国を始めとする世界各国の企業を
自国内に引き入れて活動させる事によって
巨額な税収を得ると同時に
………
その事によって先進国が持っている
最先端の知識や技術を学び取る(盗み取る)

………という
………
中国が発明した画期的な手法によって
………
それ以降
先進国と後進国の立場が
或る意味で完全に逆転させられて
しまった。

 

この項では
上記したのと同じ事柄を
別の角度から更に詳しく解説してくれて
いる動画を御紹介したい。
タイトル動画の内容として使わせて頂いたのは、
……そのハイライトから結論までの部分

 

…………………………………………………
………
中国の「夢」とは?
「百年国恥と世界覇権への野望」
………
………
★序章 偉大な覇権国★
………
………
★第一章 失われた覇権★
………
★第二章 中国の夢★
………
………
★覇権国に関する法則★
………
………
★現在の覇権国であるアメリカの地位
を脅かした2つの国★

………
………
日本が再びアメリカの脅威になった時
および
★その脅威に対するアメリカの対応★

………
………
★ソ連の脅威とアメリカの勝利★
………
………
★第三章 米国が犯した過ち★
中国の戦略にノセられたアメリカ

………
★ソ連の予言と忠告を無視したアメリカ★
………
………
アメリカおよび先進諸国が
★中国に対して抱いていた幻想と結果★

………
………
………
★終章 世界は中国の覇権を望むのか★
………

…………………………………………………

 

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…A-2…
………
中国の野心に対する
世界の覚醒と日本

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この件については以前にアップした
この記事
もう一度御覧頂きたい。
 

現在の世界は新しい秩序を捜し求めて
激動し続けている。

 

上記の記事で御紹介した情報に加えて
以下に
現時点(2020年7月20日)までに
私がインターネット上で得ている情報を
お伝えしておこうと思う。

ここから先、
世界はどのように動いていくのだろう?
 

…………………………………………………
………
ファーウエイ問題
………
英政府 5G通信網から
★「ファーウェイ」排除を決定★

………
★日本政府★
ファーウェイ・ZTE製品を省庁から排除へ

………
………
………
香港の「国家安全法」について
………
「国家保安法」に対して
★英米4ヵ国 強い懸念示す★

………
★英が香港市民の受け入れ拡大★
………
★菅長官「遺憾」と中国を批判★

 

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…A-3…
………
近未来の世界に於いて
あるべき日本の姿を求めて

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ここまで
現在の中国について、中国の野心について

その野心に対して湧き起こりつつある
アメリカを始めとする世界各国の反応や
対応について

色々とお話して来たのだけれど、………
 

日本という国は
このような体験を既に2回も、徹底的に
体験してきた国なのだ!

………と言ったら皆さん、
特に若い日本の人々は
どういう感想をお持ちになるだろう?
 

 

決して嘘や冗談ではない。
 

今回の記事で御紹介した動画の
★この部分★
もう一度、よく確認して頂きたい。
 

★こちらの動画★★こちらの動画★
御覧頂きたい。
 

この頃の日本が持っていた夢は
こういうものだった。
 

………
如何だろう?
 

………
私の父は
当時の日本が建国した満州帝国の役人
だった。
 

この写真は
父が満州国国道局に勤めていた頃のもの
車のステップに座っているのが父
………
こちらの写真は
満州奥地の地質調査に向った時のもの
黒い帽子をかぶっているのが父
………
………
もう1つ
………
★こちら★★こちら★
当時の父と母が住んでいた新京の様子を
伝えている動画だ。
………
………
こちらの写真は
新京の官舎で新婚生活を始めた頃の父と母
………
こちらは当時の母

 

 

人間のやる事なんて
いつの時代も本質的には変わらないもの
なのかもしれない。
 

しかし、
非常にゆっくりではあっても
少しずつ確実に進歩していくのが
人間の本質なのかもしれない。
 

 

現在の中国が展開しつつある夢と希望と
野心に満ちた挑戦者の世界を
過去2度に渡って体験し
敗北した経験を持つ日本という国は
 

これから
どのような夢と希望と野心を持って
………
近未来の世界に於ける
自ら立ち位置
追求し決定していくべきなのだろうか?

 

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