前回の記事で私はこちらの検索結果を御紹介し、

意識と無意識は相互に深く関連している。
………
………と言うより、
意識は
無意識という巨大な氷山の一角に過ぎない。

………と申し上げた。
 

私の意識も読者の皆さんの意識も
自身の巨大な無意識の上の部分が
僅かに顔を覗かせている
言わば無意識の表層部分に過ぎない。
 

いくら「自分」が頑張っても
どうにもならない欲望や怒りや恋情や嫉妬……
に悩み苦しんだ事のない人なんかいるはずはない
………はずだ…………………と私は思う。

意識は無意識という巨大な氷山の一角に過ぎない
のだから、
いくら「自分」→「意識」が頑張っても
「無意識」に勝てるはずはないのだ。

最初から勝負は決まっているのだ。
 

 

………けれども、
私に言わせてもらうなら、

上記した程度の悩みや苦しみは
一般的な常識の枠の中で生活している人々の
微笑ましい健康的な悩みであり苦しみにすぎない。

「無意識」が本当の正体を現したときには
決して
そんな甘っちょろい悩みや苦しみでは済まない
とんでもない悲惨な事件を引き起こす場合がある。
 

「無意識」ってやつは圧倒的な力で
それまで営々と築き上げてきた「意識」の成果を
一挙に破壊し尽くす場合がある………のである。

まるで巨大地震のように、………………。
 

 

今から48年前
私は無意識の絶大な破壊力と遭遇した。
 
25歳を迎えた翌年、昭和44年正月2日の早朝
突然浮かび上がって来た衝撃的な夢によって
それまでの常識的な人生設計を完全に破壊されたのだ。

4月に美術大学を卒業してから9ヵ月後、
最初の勤め先で
新入社員として販売促進の見習いをしていた頃の出来事だった。
 

最初は何がなんだか分からないままに
「俺は悟りを開いた」
……と信じ込み、

自分は何でも出来る特別な人間なのだ、
………という強烈な信念に従って
その時の自分が思いつくあらゆる事に挑戦した。

それまでの自分が決して越える事のなかった
社会的な常識の枠を全て取り払い………

警察に捕まる事以外は何でもやってやろう
と心に決めて、………。
 

父母と弟妹に説教し説得し、
その後
高価なスポーツタイプの自転車を買い
京都まで走っていって
友人達を集め熱烈な布教活動を開始した。

家族と同様、
友人達も驚愕していた。
 

東京の親戚を訪ねた時は
北千住の近くの綾瀬という場所から都心まで歩き
その後も歩き続け新横浜に着いた時は夜明け過ぎだった。

それから後も興奮は続き

会社の上司に自分が考えている会社の将来を
得々と説教する事さえ行った。
 

 

そのような状態が3ヶ月ほど続いた後
再び突然、私の興奮は治まって逆転しはじめた。

猛烈な不安感と恐怖感に包まれて
身動きできない状態に陥った。

私の人間関係は全て破壊され
父が所有していた株を売り払った300万円も
全て使い果たしていた。
 

父に付き添われて県立の大学病院の精神科を受診し
躁うつ病の欝期、欝状態だと診断され
自殺の危険があるから、と坑欝剤を処方された。

そんな私を父は黙って受け入れ保護し続けてくれた。
 

 

………………………………………………………
以上、
非常に危険な行為である事を承知の上で
敢えて
過去の自分のありのままを告白してみた。

今の私は
上記した過去の体験の延長上に生きている人間なのだ。
 

現在
健康な精神状態で
健康的な生活を送っていらっしゃる皆さんが
もしも、
この記事をお読みになっているとしたら
どんな感想を持つだろう?
 

バカはうつる………という噂があるけれど、
・・・・も、うつる可能性がある

………かも………なのである。
 

例え僅かでも私と関わる事が危険だ
とお感じになった方々は
今すぐ
このブログから離れた方が賢明かも知れない。
 

ここから先は余談として
それでも、このブログを読み続けようという
方々と
他の誰でもない私自身に対してのみ
・・・・が移ったらどうなるのか? という
………お話をさせて頂こうと思う。

この記事を書いている、つまり
この記事の責任者である私以外に
そういう奇特な方がいらっしゃるかどうかは
分からないけれど、………
 


 

美大時代からの親友だった「Y」の話

 

彼は対人関係が苦手の引きこもり人間だった私を
最も深く理解して付き合ってくれた男だ。

「悟りを開いた」私が家族を越えて
最初に「説教」した他人が「Y」だった。
 

東京の十条にある会社の寮に彼を訪ねて
一晩語り明かしたのが説教の始まりであった。

私の「OZEKI教」にとって
彼は最初で最後の「信者」だった。

彼は彼なりに私の「教え」に共感して
それまでの自分の常識的な枠組みを取り払い
勤めていた会社を飛び出したのだ………と思う。

………それ以降
彼との深い関わりは彼が結婚するまで
10年以上、延々と続く事になる。
 

最初の頃は
私が彼の「師」であり心の支えだったのだが、
彼が本物の「師」と出会い
その上に
ニセモノの「師」である私本人が馬脚を現してからは
関係が逆転し、
彼が私の「師」………というか
人生の指導者になってしまった。

彼は
「欝」状態を経て人生の敗残者としての生活を
送るようになっていた私に
過去の勇ましかった頃の自分を思い出させ
再び
一般社会の常識に挑戦するという意味での
「狂気」を蘇らせてくれた。

要するに
私の・・・・がYにうつり、
Yが私に借りを返してくれた訳である。
けっこうな額の利息をつけて、………。

彼から得る事が出来た
当時の現実社会の上層部の生態
に関する様々な情報は
現在の私が「創造ネット計画」を考える上で
最も基礎的な手がかりになっている。
 

今になって思うのだが、………

躁状態だった私が口走った言葉に共鳴して
勤めていた会社を飛び出した後
彼が経験した一般の社会常識を超える生活は
一歩間違えたら身の破滅につながりかねない
非常に危険なものであったに違いない。
 

とにかく色々の事があった末に
日本を飛び出してアメリカへ渡り、

その後は彼を追って日本を飛び出した
彼女(後の嫁さん)と共にヨーロッパを
転々とする生活の果てに日本に帰ってきた。

帰ってからのYは
一般の社会常識を「深く」わきまえた
「立派な大人」へと成長し、
彼女と共に代官山に事務所を構える
建築デザイン設計会社の経営者に納まり
それなりの成功を収めた。

現在は第一線から身を引き、
京都で夫婦2人の隠居生活を楽しんでいる
………ようだ。

多分、
御両親の様子からの連想なのだろうけれど、………
桃太郎や竹取物語などの日本の昔話や
能狂言に出てくる翁嫗の如き生活を
理想としていた、
………実に彼らしい老後だと思う。

………………………………………………………

………何か
話が完全に脱線してしまったので、
これくらいで今日の記事を終わりにして、
本題に戻ったお話しは次回、
2~3日中に書いてアップしようと思う。
 
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