「作品」としての「創造ネット」について

 

今朝、午前5時前に前回の記事をアップし終えた後、

思いっきり運動した後のような心地よい疲労感の中で

夢も何も見ず昼過ぎまで熟睡、……というより爆睡した。

非常に複雑な方程式(問題)を解き終えたような「割り切れた」という感覚もあった。
 

………その後、

借金取りの訪問や電話を気にしながら

食事や雑用で時間をつぶしたり

久しぶりに音楽を聴いたりして今は4月4日の午後8時30分。
 

この間、自殺とか死については全く考えなかった。

その件に関しては具体的な方法についても抽象的あるいは宗教的な議論に関しても既に考えられる限りの事は考え尽くしている。

例えばこんな本を参考にして、それなりに完璧な装置も二階に設置してあるし、

昨日はこの本を読みながら死に向かう最終的な決意が生じるのを待ち続けていたし、………。

然るべき時が来れば即座に対応できる自信はある。
 

………という事で、

考えられる限りの準備を整えた上で、

少なくとも、
これから明朝までの12時間位の間は記事を書く事に専念できるなあ等と考えながらパソコンを立ち上げたところ。
 

………………………………………………………

 
………このくらいで前置きを終了して本題に入ろう。

前回と同様、ブログというものに対する私の信念を述べる事から記事を再開しようと思う。
 

 
ブログは読んで貰ってナンボのもんだ、と私は考えている。

読んでもらう為には面白さが必要。

………でも、面白さって何なんだろう?

 

ブログの面白さの要素として最も大切なものは「ものがたり性」だと私は考えている。
 

ブログの底に「ものがたり」を仕掛けておいて、

その「ものがたり」の中に読者を引き込む事ができたら、

半ば以上ブログは成功し長続きする。

………と言えるんじゃないだろうか?
 

もちろん、

その「ものがたり」は魅力的で

一目で人々を惹きつける力を持っている必要がある訳なんだけれど、………。
 

 
魅力的で一目で人々を惹きつける力を持っている「ものがたり」によって

圧倒的多数の人々(特に男性)を惹きつける事に成功したブログの実例を私は知っている。

約1年半くらい前までコメント書き込みの常連として関わっていた或るブログだ。

筆者(管理者)は30歳前半の美人と自称する女性。
 

 
しかし、

非常に残念な事に彼女の「ものがたり」は所謂(いわゆる)「天然」であって「作品」じゃなかった。

………だからこそ面白かった、………とも言えるのだけれど、………。

「天然」ほど、もろくて危険なものはない。
 

案の定、

彼女のブログは迷走した末、約1年半前に自爆して急停止したまま現在も動き出す気配がない。
 

 
もちろん成功した場合の満足感は他の人には分からないほどのものだと思う。

しかし、
ブログを本気で書くという事は

筆者の人生そのものに非常に重大な作用を及ぼす危険な作業なのだ、………と今の私はつくづく痛感している。

ささやかな私自身の体験からも、その事は断言できる。
 

 
………話を元に戻そう。
 

ブログの面白さの要素として最も大切なものは「ものがたり性」だと私は考えている。
 

ブログの底に「ものがたり」を仕掛けておいて、

その「ものがたり」の中に読者を引き込む事ができたら、

半ば以上ブログは成功し長続きする。

………と言えるんじゃないだろうか?
 

もちろん、

その「ものがたり」は魅力的で

一目で人々を惹きつける力を持っている必要がある訳なんだけれど、………

それだけじゃダメだ。

その「ものがたり」は何か非常に重要な或る条件を満たしている必要がある。
 

 
敏感な読者の方々は既に感じていらっしゃるに違いないと私は思う。

………そう、

それは「天然」じゃなくて「作品」としての「ものがたり」でなければならない、

………という条件だ。
 

「作品」というものは完成し完結している。

………だから安定していて人々が安心して見ている事ができる。

作者も自信を持って「作品」として人々に、つまり社会に、提出する事ができる。
 

一方、

「作品」は「製品」じゃないのだから完成し過ぎていてはいけない。

安定し過ぎていてもいけない。

………その辺りの按配が非常に難しい。

………………………………………………………

 

………ところで、

突然の事で恐縮なのだが、………

ここで、このブログ、

つまり「創造ネット」および「創造ネット計画」の話を

始めさせて頂くことをお許し願いたい。
 

昨年の5月以降、約2年弱の間、私はこのブログつまり「創造ネット」を実験的なブログとして書き続けてきた。

「実験的なブログ」とは「天然ブログ」だ、という事に他ならない。

………しかし、
「実験的なブログ」としての「創造ネット」は既に行き着くところへまで行き着いた、

と今の私は感じている。
 

もしも、現在の状態のまま私の命運が尽きた場合は

当然の事として「創造ネット」は終了する事になる訳だけれど、………

万が一にでも、ここで踏み留まる事が出来た場合、

「創造ネット」は現在とは全く異なるブログに生まれ変わるはずだ。

「実験的なブログ」つまり「天然ブログ」じゃなく「作品」としての「創造ネット」として。
 

「作品」としての「創造ネット」のアウトラインは既にこの記事に表現してある通り。
 

読者参加型の「ブログ作品」としての「創造ネット」の底の底に仕掛けてある「ものがたり」については

読者の皆さんの読解力および想像力および創造力にお任せする。

ただし、

「作品」としての「創造ネット」の管理者(製作責任者)としての私の最も大切な仕事は

「作品」が「天然」になってしまわないように最大限の注意を払う事にあると考えている。

………………………………………………………

 

以上、

そろそろ時間が来たようなので

この辺りまでの文章で今回の記事を終了してアップしておこうと思う。
 

前回の記事で私は次のような事を口走った。

前回から書き始めた、この記事に関して私は或る程度の自信と見通しを感じている。

この記事をブログの最後に添える事によって、

昨年の5月以来、1年近くに渡って書き続けてきた、このブログの本当の意味とか面白さとか真実が

突如として浮かび上がってくるような記事を書く事ができるかもしれない。

………そんな予感に何となく包まれて、この記事に昨夜から向うことにしたような次第だ。

 

 
上記した目標にどこまで近づく事ができたか、あまり自信はない。

けれども、この記事を私が楽しみながら書き続け、書き終えた、

………とだけは確かに言える。
 

記事内の様々な場所に密かな「ものがたり」を仕掛けつつ、

「天然ブログ」の筆者としてではなく、

「作品ブログ」の筆者として。
 

 

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