プロローグ 目次
………
………
① …… 命を救われた話
「旧-OZEKI」は
自殺を決行する覚悟を固めて
万年ベッドに横たわっていた。
こんどこそ必ず死ぬ事ができるはずだ!
………
② …… 命を救う話
「命を救う話」
をする前に
「命を救わない話」をしておきたい。
………
③ …… 命を蘇らせる話
涙の海から
蘇った新しい私「新-OZEKI」が
新しい人生を切り開こうとしている。

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① …… 命を救われた話

 

2017年5月7日の夜10時過ぎ

「旧-OZEKI」は自殺を決行する覚悟を固めて万年ベッドに横たわっていた。

こんどこそ必ず死ぬ事ができるはずだ!
 

 

自殺しなければならなくなった直接的な原因は経済的な問題だ。

2週間ほど前に電話とインターネットが突然使えなくなった。
料金を引き落とせない状態が2ヶ月続いたのでNTTが電話とインターネットの回線を切断したのだ。

郵貯の口座には300円ほどしか残っていない。
2~3日後には電気の供給も停止されるだろう。
 

自殺の決意を固めたのは今年に入ってすぐだから5ヶ月ほど前の事になる。
その辺りの事情は「旧-OZEKI」のバカがこのページに恥ずかしげもなく詳しい説明をしている。
 

 

最初に自殺を試みたのは約2ヶ月前だった。

その時の顛末も「旧-OZEKI」のバカがこのページに恥ずかしげもなく詳しい報告を行っている。

それ以降、何度も自殺を試みた、………というより毎日が

自殺へ向けての心の準備と
決行に向っての助走と
断念 → 死にきれない。
………
そういう心の動きの繰り返しだった。

 

2ヶ月間、そんな日々を過ごしているうちにも経済状態はどんどん悪化していって最初に述べたように電話もインターネットも使えなくなり、2~3日後には電気の供給も停止される、という事態に追い込まれてしまったのだ。
 

上記した2ヶ月間、……いや、それ以前の3ヶ月を含めると今年に入って以降の5ヶ月間、「旧-OZEKI」は多くの人々に救いを求め続けていた。
 

その結果として、……本当に心に沁みる実感として徹底的に理解させられた事が一つある。
自殺するところまで困窮している「他人」を助けようとする「大人」は絶対に存在しない。………という悲しくも厳しい現実だ。

特に利口な人、賢い人………ほどその傾向が強い。

………そういう話が出そうになると彼等は巧みに身をかわして逃げ去っていく。

………その話にまで何とか漕ぎ着けたら、今度は別の手段で見事に決着をつける。

その手法は人様々なのだけれど、………。
そういう経験をイヤというほど積み重ねた結果として「旧-OZEKI」は人間というもの、或いは日本人という存在に対して或る悟りを得るに到っていた。

自分のバカさ、甘っちょろさ、思い上がり、を棚に上げて………。
 

 

「アキラ」が玄関のチャイムを鳴らしたのは
悟りを開いた「旧-OZEKI」が、今度こそ、と自殺の覚悟と決意を固めて寝そべっていた2017年5月7日の夜10時過ぎの事だった。

彼が訪れたのは数日前に「旧-OZEKI」が出した回覧の事を嫁さんから聞いたからだそうだ。
「旧-OZEKI」は隣組の組長をしている関係で以下のような回覧を回していたのだ。

………………………………………………………

一番組の皆様へ
組長交代の可能性につきまして

突然ですが、個人的な理由により私(「OZEKI」)は
組長を続ける事が困難になって参りました。

この件につきましては3月末頃から様々な努力を続けてきたのですが、その努力も限界に達しつつあります。

 御存知のように私は4月9日の自治会総会にも出席できず、16日の会所の掃除も失念したりしている有様です。現在のような状態が続くようでは組長を辞退させて頂く他はないと考えております。

どんなに遅くともゴールデンウイークの終盤(5月5日頃)までには最終的な決着を見る事になるはずだ、と考えているのですが、………
組長交代の止む無きに到った場合には大川様に引継ぎをお願いする事にして28年度の会計報告書を始めとして山の神の掛け軸や防災班のヘルメットなど、引継ぎの準備を整えてあります。

山上自治会長のお二人には組長交代の可能性についてだけは申し伝えさせて頂いてあります。
尚、
現在の私には組費を徴収する資格がありませんので3月分の組費と4月から始まる新年度分の組費の徴収が出来ないままになっております。

今後も組長を継続できるようにギリギリの努力を続ける所存ではありますが、それが不可能になった場合、大川様には組費の徴収から引継ぎをお願いいたします。

 

 

以上、
突然の状況報告になってしまいました。
万一の場合には皆様には多大な御迷惑をお掛けする事になりそうで、本当に申し訳ございません。

ここに到るまでの経緯につきましては個人的な問題ですので詳しい事は申し上げられませんけれど、よろしかったら私のブログを御覧頂けば或る程度の事は御推察頂けると存じます。(「souzou.net」で検索して一番上に出てくるページです)

………………………………………………………

 

色々とかっこうをつけてはいるけれど、これは明らかに隣組の人々に対する「旧-OZEKI」からのSOS信号だ。

しかし、その事を分かった上で、なのかどうか、隣組の人々からの反応は皆無だった。

いや、それ以上だった。

以前から隣組の人々は明らかに「OZEKI」に距離を置き始めていたのだが、回覧以降その傾向は決定的なものになっていた。

隣組の人々にとって「OZEKI」は今や存在していても存在していないのと同様の過去の人間になりつつあるようだった。

………………………………………………………
以上

ここまでかなり過激な表現をさせて頂いたのだが、
私「新-OZEKI」は、隣組の人々をはじめとして自分が救いを求めた諸兄の事を決して悪く思ってなどはいない。
もしも本当に悪く思ったり恨んだりしていたら、こんな事を書いたりはしない。

ここまでの記述で私「新-OZEKI」が表現したかったのは
自分が体験した事は現在の日本全国で多くの独居老人や自殺志願者達が毎日の様に出会っている極く普通の出来事であり現象なのだという事実、………これだけだ。

この事実と後ほど御説明する「創造ネット計画」とは人間の本質的な部分で深く関わりあっているのだが、………

その点については、その説明の仲で詳しい分析を続けて行く事として、………今は話を本題に戻そう。

酒の匂いをプンプンさせながら、………アキラは「旧-OZEKI」の自殺を思い留まらせようと説得を始めた。

彼は「旧-OZEKI」が生活保護を受けるべきだ、と主張した。
明日の午後3時に自分が車で迎えに来るから、いっしょに市役所に行こう、というのだ。
 

それ以外にどのような会話を彼と交わしたのかはよく覚えていないのだが、
多分30分ほど話をしてから、「旧-OZEKI」がふと思いついた次のような質問に対する彼の答えは見事だった。
「君のいう事を聞いたうえで、私が今夜、本当に自殺を決行したら君はどう思うか?」

彼の答えはこうだった。

「なんとも思わない。いい年をした大人がそこまで決心してやる事なのだから、………」

「旧-OZEKI」は何故か思わず笑ってしまった。………腹の底から。
その瞬間に「こいつの為に生きてやろう!」と自然に心が定まった。

……日本人、いや人間もまだまだ捨てたもんじゃないようだ……

思い上がりもいいところだけれど、これが平成のドン・キホーテ こと「OZEKI」の「OZEKI」たる所以なのだからしかたがない。
 

翌日の午後3時にアキラは迎えに来て市役所に送ってくれた。

保護課での相談にも彼は付き合ってくれ相談終了後は家まで送り返してくれた。
 

アキラの人となりについては「登場する人物」で詳しく説明する事になるかもしれないが、………

今の段階で一つだけ言っておくとすれば、アキラは小林旭に似たかなりの男前だという事くらい………かな。
………
 

 

阿久悠が小林旭に書いた隠れた名曲

 

 

………………………………………………………
① …… 命を救われた話
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② …… 命を救う話
………
↓ プロローグの結論
③ …… 命を蘇らせる話
………………………………………………………
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② …… 命を救う話

 

「命を救う話」をする前に
「命を救わない話」をしておきたい。

話の順序としては、それが正しい在り方だと思う。
前回の記事「命を救われた話」に於いて
私「新-OZEKI」は「旧-OZEKI」を見捨てた人々の話から始めた。

その部分だけを見ると、読者の方々には彼等の非人間的な側面のみがイメージとして浮かび上がってくるかもしれない。

しかし、実際はそうではないのだ。

彼等は非常に人間的な、……余りにも人間的な人々だ、と私「新-OZEKI」は考えているし感じている。

彼等の立ち位置に身をおいてみればその事がよくわかる。
 

彼等が「旧-OZEKI」を見捨てた原因として第一番目に挙げられるのは
「旧-OZEKI」が決して人から好かれるようなタイプの人間ではなかった、という事実だ。

「旧-OZEKI」がどれくらいイヤな人間であったか、という事は
「旧-OZEKI」を子供の頃から良く知っている実弟の、
次のような反応からも窺い知ることができる。
 

窮地に陥った「旧-OZEKI」が最初に救いを求めたのは、
当然の事ながら弟と妹という二人だけの身内だったのだが、
妹は別として弟の方は極端に冷淡な態度で「旧-OZEKI」に対峙した。

弟は「旧-OZEKI」が窮地に陥った事を喜ぶだけではなく、
「旧-OZEKI」が自殺する事を望んでさえいるように見えた。
ここまで事が深刻化した背景には
過去60年以上に及ぶ兄弟間の確執が存在している。

氷河の様に厚く固く凍りついた弟の心を解きほぐすには、
どれくらいの時間と精神的エネルギーが必要なのか、
今の私「新-OZEKI」には見当もつかない。
もちろん、
「旧-OZEKI」を見捨てた隣組の人々は
「旧-OZEKI」の実弟のような凄まじい憎しみを抱くほどの心情には到ってはいないだろう。

しかし、
過去40年以上に渡り
近隣の人々に対して「旧-OZEKI」が築き上げてきた
マイナスの人間関係が内包している
密かな嫌悪感や拒絶感や軽蔑心のエネルギーはかなりのものであるに違いない。

氷河ほどではないにしても
氷山の様に厚く固く凍りついた隣組の人々の心を解きほぐすには、
どれくらいの時間と精神的エネルギーが必要なのか、
今の私「新-OZEKI」には見当もつかない。
又しかし、
いくら「旧-OZEKI」が嫌悪し拒絶し軽蔑すべき奴だとしても、
自殺する可能性のある人間を、
その事を承知の上で放置する隣組の人々の心情については
「旧-OZEKI」も意外で理解できない部分を感じていた。
 

この点について考え続けた結果、
最終的に自殺を覚悟し決意した時の「旧-OZEKI」は次のような結論
というか悟りの境地に辿り着いていた訳だ。

これは
現代の日本人に特有の自己保身の心理の表れ
であるに違いない。

現代の日本人は
余りにも厳しい現実生活を強いられている。
その結果として
極端に冷酷な自己保身の心理を
身に付けなければ生きて行く事ができないのだ。

 

こうした
極端に冷酷な自己保身の心理を示している人々の典型的な判断や対応に
「旧-OZEKI」は何度も出会っている。

「旧-OZEKI」が救いを求めた利口な賢い人々、
地域社会を導く立場にいる優れた有能な人々との関わりの中で、………。

彼等は、まず彼等自身、次に家族、次に自身が属する組織の安全と発展のために
努力と研鑽を惜しまずに忙しい日々の活動に没頭している誠実で勤勉な人達でもある。

上記の「彼等自身」「家族」「彼等が属する組織」は
彼等の意識および無意識および現実生活に於いて完全に融合し一体化されているのだが、………

その人達が持っている様々な能力の中でも特に重要なのは
「やっかいごと」と「得する話」を遥か彼方から見分けて
早くのうちに処理したり対応したりする能力だ。

この件については
私が親しく接した事のある非常に優れた
有能な指導者が語ってくれた次のような逸話を思い出す。
今から60年近く前の1959年
この地方を伊勢湾台風が襲った後始末に多くの地域の青年団が駆り出されていた時の話。

当時の彼は青年団長を務めていたのだけれど、
団員に対して密かに注意していた事が一つあったという。

遺体を発見しても決して本部に報告してはならない。

別の状況の場合、
彼が上記とは逆の指令を発していた可能性は十分に考えられる。

遺体を発見したら直ちに本部に報告せよ。

この辺りの判断と処理と対応、………
ここのところが有能な優れた指導者が持つべき能力の勘所だと私「新-OZEKI」は感じており、
又、
これは、今は亡き彼が遺した数々の知恵と共に
当地方の指導者の方々に現在に到るまで脈々と受け継がれている
重要なノウハウの一つだとも考えている。

………………………………………………………

以上、
こんなところで「命を救わない話」を終えて、本題である「命を救う話」に移る事にしたい。


上記した
「現代の日本人に特有の自己保身の心理」に関する悟り
を抱いたまま

「旧-OZEKI」が自殺を敢行しようとしていた
ちょうどその時に
アキラが玄関のチャイムを鳴らした一件は、

既に前回の記事
「命を救われた話」で申し上げた通りなのだが、………
その時のアキラの心情とか事情について

今の私「新-OZEKI」が考えている事を申し述べる事が

「命を助ける話」に通じるような気がするので、

その話をしてみようと思う。

アキラは50代なかば過ぎ、
当市の中心市街地で漫画喫茶を経営して3人の子供を育て上げた苦労人だ。

詳しい経歴は知らないけれど、
若い頃は暴走族系のはみだしもの的な生活をしていた時期もあったようだ。

その点で彼は
一般社会から外れた地点で生きている「旧-OZEKI」の心情を理解できる面があったのだと思う。
もう一つ非常に重要なのは、
彼が自殺志願者あるいは
それに近い状況にあった若い女性を救った経験を持っていた事だ。

その時、
その女性に付き添って彼は何度も市役所の保護課に生活保護の申請に行ったのだ、という。

「俺には自殺志望の人間を引き止める自信がある」

そう彼は豪語していた。
 

最後に、
最も重要なのが
命を救おうという人が持っているべき純粋の侠気だ、と私「新-OZEKI」は考える。
私に生きる決心をさせた最後の決め手はアキラの侠気だった、と今でも思っている。
 

若い頃の純粋の侠気を保ち続けている人は以外に少ない、……のかもしれない。

アキラ以外の隣組の人々は
大なり小なり世間一般の常識の枠の中で常識的な生活を営んでいる「普通の人々」だ。
彼等にとって、
当時の「旧-OZEKI」は海や河で溺れて必死に助けを求めている水難者そのものだったに違いない。

溺れている人を救うには余程の水泳の力量が必要だ。

溺れている者にしがみつかれたりされた場合、下手をすれば一緒に溺れ死んだりしかねない。

君子あやうきに近寄らず。

彼等は「旧-OZEKI」の件に関して
軽く固まって
身動きできない(しない)心身の状態に陥っていたのだ、………と今の私「新-OZEKI」は考えている。
だから、
最初に申し上げたように「旧-OZEKI」がどれだけ嫌われ者であったとしても、
隣組の人々が「旧-OZEKI」の死まで望んでいたはずはない、
………と今の私「新-OZEKI」は考えている。

そう考えるべき証拠を一つだけ挙げて今回のお話を終えることにしたい。
市役所の保護課で生活保護の申請が受理された3日後に
「旧-OZEKI」は以下のような回覧文書を回した。

………………………………………………………

先日5月2日に突然お伝えした組長交代の件ですが、
おかげさまで何とか最悪の事態は回避できそうです。
(この件の詳細につきましては、よろしかったら私のブログ「創造ネット」を御覧下さい)

昨夜(5月13日 土曜日)の組長会には出席させて頂いて、
自治会長のお二人にも組長を継続する旨を報告いたしました。

話は少し飛びますけれど、………
4月5月は私が会所の国旗を掲揚する係りでした。
先週のゴールデンウイークには生きるか死ぬかギリギリの精神状態の中で
国旗を掲揚する「仕事」が自分の心を支えてくれているのだ、
という事をしみじみと思い知らされました。

………そんな状態で果たすべき役割も満足に果たせず、
皆様方には大変な御心配と御迷惑をおかけしてしまいまして本当に申し訳ございませんでした。
その分も含めて今後は組長としての役割を遺漏なく果たすよう全力で頑張るつもりです。

今回の回覧文書にも御座いますように、
来月6月4日には代動があります。
その他にも遅れている新年度の組費の集金、その他の「仕事」があります。

それらの「仕事」も
今日からの私には大きな心の支えになるに違いありません。

今後ともよろしく御指導・御鞭撻のほどお願い申し上げます。

………………………………………………………

上記の回覧を行った二週間後に
遅れていた組費の集金を兼ねて「旧-OZEKI」は隣組の全戸に挨拶をして回ったのだが、……
その時に応対に出ていらっしゃった人々が示した
心からの安堵の様子を彼は決して忘れる事はないだろう。

氷の河や山の底の底に密かに、
しかし確かに流れているはずの人の心のぬくもり、

それを信じて私「新-OZEKI」は今後も生きる努力を続けていこうと思っている。

………background music………
………
★ 明日に架ける橋 ★

 

………………………………………………………
………
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③ …… 命を蘇らせる話

………
………
今月の5日は私「新-OZEKI」の人生で初めての貴重な体験をした重要な日だった。

申請が受理され、市役所の保護課に伺って生活保護費を頂いたのだ。

今は2017年06月13日 火曜日の午後3時42分だから私は生活保護受給者として1週間と約1日半の時間を過ごした事になる。
 

ところで、
こちらのページをお読み頂いても分かるように、生活保護は資産や能力等すべてを活用してもなお生活に困窮する人々に対し、困窮の程度に応じて必要な保護を行い、健康で文化的な最低限度の生活を保障し、その自立を助長する制度だ。

それにしても
生活保護の受給者が「資産や能力等すべてを活用してもなお生活に困窮する」までに到ったのは何故なのかを考える時、
私「新-OZEKI」自身を含めて生活保護受給者は様々な意味で「ふつうの人々」とは異なった点が多い特殊な人々だという結論に達さざるを得ない。

………更に突っ込んで言うと
生活保護の受給者は「ふつうの人々」が普通に持っている「何か」が不足していた人々なのだ。
それ故に、心ならずも生活保護を受けざるを得ない状況に陥っている訳なのだけれど、………。

生活保護の受給者に欠けていた「何か」、………それが何なのかは受給者それぞれの個人的状況によって異なる。

だから
他の人々の事は分からないし言えない。

しかし、私が「資産や能力等すべてを活用してもなお生活に困窮する」までに到った理由や原因なら詳しくお話する事ができる。
 

生活保護の受給者になるまでの「旧-OZEKI」が「ふつうの人々」が普通に持っている「何か」が不足している人間であった事、………これは確かな事実だからだ。
だから、現在の「新-OZEKI」は心ならずも生活保護を受けざるを得ない状況に陥っている訳なのだ。

………………等と偉そうに述べるべき話ではないのだろうけれど、
これが平成のドン・キホーテこと「OZEKI」の「OZEKI」たる所以だという風に御理解いただく事にして話を続けようと思う。
 

「旧-OZEKI」に明らかに欠けていたもの、
 

………その第一番目に挙げなければならない事項は「経済的な常識」………これに尽きる。

年金も懸けずに老年に到るまでの日々を悠然と過ごしていられたのは、「ふつうの人々」が普通に持っている経済的な常識が完全に欠如していたからだ、………としか表現のしようがない。

要するにバカだったのだ。
 

………二番目は「社会生活上の常識」。

「ふつうの人々」が普通に行っている世間的な付き合いはおろか、友人や親戚や兄弟との関わりについても、常識外れの考え方に基づいた常識外れの言動で相手の激しい深刻な怒りや軽蔑を呼び寄せていながら、その事に全く気付いておらず、………それらの人々の助けが本当に必要になった時は既に手遅れになっていた。

要するに確たる根拠もなしに自分は偉い、賢い、と思い上がって全ての相手を見下していたのだ。社会を舐めていたのだ。
 

それらの事を「旧-OZEKI」が心の底から本当に理解し始めたのは昨年の暮れに生活資金が底をつき始めてからの事だ。

既にお話したように、そうなるまでの12年間は2ヶ月毎に支給される母の遺族年金があり、母が死去してからの2年間は残された多少の預金を少しずつ引き出して生活資金に充てていたのだが、………。
 

生活資金が底をつき始めたので、それ以降は仕方なしに「旧-OZEKI」は職安(ハローワーク)の情報を頼りに職探しの日々を2ヶ月以上過ごした。

その間の事情は「旧-OZEKI」がこちらのページ以降から数ページに渡って詳しく書き綴っている。

今になって読み返してみると最初の内は自信満々だった「旧-OZEKI」が高齢者の職探しに於ける厳しい現実を思い知らされて今年の1月14日に死を覚悟するに到るまでの愚かとしか言いようのない心の動きに苦笑させられる他はない。

………………………………………………………
以上、

ここまで

生活保護の受給者は「ふつうの人々」が普通に持っている「何か」が不足していた人々なのだ。

という考え方を説明するのに格好のサンプルとして「旧-OZEKI」の事情をお示ししてみた。
 

 

生活保護受給者の生活は厳しい。

それは単に最低限の生活費で生きて行かねばならない、……という事だけを意味している訳ではない。

私「新-OZEKI」の場合、住宅手当がない地方都市在住の単身者なので1ヵ月の支給額は6万7千460円。

原則として車は使ってはならないという決まりがあるので家にある車は廃車にする他はない。

………その意味での厳しさは確かに存在する。

しかし、或る意味では、それ以上の、………と言うより、遥かに大きく底知れぬほど深い厳しさが存在している。

人間としてのプライドの問題だ。

私「新-OZEKI」が生活保護受給者だと知っている人々の私に対する視線は明らかに「ふつうの人々」に対する視線ではない。
私が生活保護受給者だと知った人々の視線は、それまでとは明らかに異なったものになる。

それは当然の事だ、「生活保護受給者」である私は、確かに「ふつうの人々」とは異なった人間なのだから。

現在の私「新-OZEKI」は「ふつうの人々」が日々の労働によって稼いで納めた貴重な税金を働かずに頂いている人間なのだから。
 

過去に支払うべき年金を支払っていない私にとって、それは有難い事には違いない。

けれども、その事は同時に私の人間としてのプライドをズタズタに引き裂いてしまいかねない危険性も秘めている。
 

 

生活保護の実務に携わっていらっしゃる人々なら誰でも、生活保護受給者に特有な態度とか姿勢の様々な形態について熟知なさっておられるはずだ。

ふつうの「ふつうの人々」からの、ふつうの視線に逆らわずに素直に従っている「生活保護受給者」は別として、その視線に逆らおうとしている「生活保護受給者」も多いのではないだろうか?

後者の心理状態について考えさせられる。

人によって異なる様々な形をとるけれど、そこに共通して流れているのは「人間としてのプライドの問題」だ、と私は思っている。
 

生活保護という社会制度は経済面から確実に私「新-OZEKI」を支援してくれる。

しかし、生活保護受給者となった私の、人間としてのプライドは、他ならぬ私が自分自身の力で護り育てて行くしかないのだ
経済面での厳しさと共に、………。
 

 

生活保護受給者である現在の私「新-OZEKI」は人間としてのプライドを保つのが非常に困難な厳しい局面に立たされている。

既に何度も申し上げているように、それらは愚かで思い上がった過去を持つ私が受けるべき当然の罰だ。

ここまでに到った自分の愚かさや思い上がりを徹底的に反省する事は人間としてのプライドを云々する遥か以前の前提だ。

しかし、その徹底的な反省に打ちのめされて自分を見失ったら終わりだ。
そうなってしまったら、その後の私「新-OZEKI」は、ただ生物として生きている(生かされている)だけの人間になってしまうに違いない。

福祉制度に支えられて生物としての「命」は保たれてはいるけれど、その「命」は人間としての私「新-OZEKI」にとって死んだも同然のものでしかない。

私「新-OZEKI」は何よりもまず自分自身の力によって「人間としての自分の命」を蘇らせなければならないのだ。
 

 

幸いにも現在の私には「人間としての自分の命を蘇らせる手段」が与えられている。

「創造ネット計画」という企画と、それを広く日本社会に問うためのウエブサイトという2つの手段。
 

長い間、誤解していたのだが、現在の生活保護制度にはインターネット活動を制限するような条項は含まれていない。

車とは違って
インターネット活動に必要な設備を既に所有している生活保護受給者から、それを取り上げたりする事もない。

もちろん、1ヵ月に6万7千460円という支給額の範囲内でやりくりしなければならないのだけれど、月に6千円強の通信関連の費用と、年に5千円程度のウエブサイト維持費は、なんとかなる金額だ。

しかも1ヵ月に6万7千460円という生活保護費は働かなくても支給が保障されているお金なのだ。

どう考えても、やっぱりこれは凄い事だ。ありがたい事だ。

現在の私「新-OZEKI」は自分が持っている全ての時間を自由に使う事ができる。

………………………………………………………

………というような次第で、

これからの私「新-OZEKI」は「創造ネット計画」の現実化を目指した新しいウエブ活動に専念しようと考えている。
 

 
現在の「創造ネット計画」
愚かで思い上がった「旧-OZEKI」の現実に対する誤った対応によって社会から完全に無視されてしまっている。

しかし、そこのところに潜んでいる問題点を解決すれば巨大な可能性を持っている筋の良い企画だという事を私は確信している。

だから「創造ネット計画」なのだ。

「創造ネット計画」の現実化を目指した新しいウエブ活動なのだ。

それに伴って、今まで「平成ドン・キホーテの後悔日記」としていたこのブログのタイトルを「平成ドン・キホーテの奮闘記録」と改める事にする。
 

 

「旧-OZEKI」が溺れていた涙の海。
………
………
後悔は既に行い尽くした。
………
涙の海から蘇った「新-OZEKI」が
新しい人生を切り開こうとしている。
………
この決意を理解し応援してくださる
人々の存在を信じて、………。

 

 

………background music………
………
You Raise Me Up
………
★ MARTIN HURKENS 日本語訳付き ★
………
★ Westlife★
歌詞
………
★ 森 麻季 ★

 

………………………………………………………

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