「自信・意欲・気力」と「諦め・失意・絶望」……の諸相

今年の1月から本格的にFXに向かい始めた。
それ以来、今日までに何回も挫折を経験した。
初めの頃は挫折も軽い何となくのものだったのだが最近は心の根本的な部分から生きる気力を失ってしまうほど深刻な挫折を繰り返すようになってきている。

挫折に到るまでには一定の心理的な経緯がある。
まず最初に訳の分からない自信・意欲・気力が生じ、何日かの後に、その自信・意欲・気力の根拠となるような具体的な手段や方法や考え方が浮かび上がってくる。
次に、その手段や方法や考え方に基づいてFXに向かう努力を何日か続けるのだが、………うまくいかない。
失敗を何度も繰り返す内に最初の頃の自信・意欲・気力が少しずつ失われていって徐々に諦め・失意・絶望の気分が自我を覆い尽すようになる。

そこのところで私はFXおよび全ての人生に向かおうという努力を放棄して、ただただ眠るだけの生活に入り込む。失敗した手段や方法や考え方に拘って同じ方向へ向かって具体的な頑張りを続ける行為は百害あって一利なしだという事実を今までの経験によって思い知っているからだ。そういう意味での前向きな頑張りを続けるより、後ろ向きのマイナスな方向への具体的な思考を深める事の有意義さを知っているからだ。

そういう時に駆使すべき「眠りの中での思考」を可能にする立脚点としての知識なら現在の私は豊富に持っている。
根本的には現実社会で生きていく事そのものの限界に関する認識、………と言うか現世を越えた世界に対する或る種の宗教的な理解と認識。

ただただ眠るだけの生活の中で、そういう思考態度や思考方法に基づくマイナスの方角に向かっての具体的な手段や方法や考え方を徐々に深めていく。

そちらの方角へ向かって実際の歩みを進める覚悟が定まった頃、何故か自然に心が変化してくる。それまでマイナスだと感じていた方向へ向かっての「自信・意欲・気力」が浮かび上がってくるのだ。
そうこうしている内にプラス側へ向かっても今まで思いもつかなかった新しいタイプの「自信・意欲・気力」が浮かび上がってくる。何日かするとその「自信・意欲・気力の根拠」となるような具体的な手段や方法や考え方が浮かび上がってくる。

…………以上、
そのようなプラスマイナス両極に向かっての「自信・意欲・気力」から「諦め・失意・絶望」に到るサイクルを1月以来、FXを巡って繰り返してきて今の私が感じているのが「自信・意欲・気力と諦め・失意・絶望……の諸相」だ。「自信・意欲・気力」から「諦め・失意・絶望」に到るサイクルには幾つもの違ったタイプがある。

一つのタイプの「諦め・失意・絶望」には、それを生み出す原因となったタイプの「自信・意欲・気力」が存在する。それらのタイプの間には明らかに段階的な差異がある。低次元の「自信・意欲・気力」「諦め・失意・絶望」から高次の「自信・意欲・気力」「諦め・失意・絶望」に到るに到るまでの、………。

人間の努力は常に明確な限界を伴う。しかし、その限界が常に新しい思いがけない生命力を産み出す出発点となる。
クールな「自信・意欲・気力」に基にクールな努力を続け、クールな「諦め・失意・絶望」に向かい、次なる次元の「自信・意欲・気力」をクールに育むような在り方
それが今後の自分が意志として目指すべき生き方(死に方)であるような気がする………今までは半ば無意識的に行ってきたのだが、………。

 

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