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情報の荒海の中で生きる

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このカエルと私は
2005年の冬を一緒に過ごした。
………
母の介護を始めてから
2年目の事だった。
 

夏の終り頃、
台所の流しにいるのを発見したのだけれど
小さくて可愛いので放っておいたら
そのまま流しに居ついたのだった。
 

やがて冬がきて
動かなくなっている姿を見て
死んだのかと思ったら生きていて
部屋を暖めたら動き始めた。
 

写真の撮影日時は
2005年の1月31日の午前9時30分と
なっている。

彼(彼女?)は
その冬を我が家の台所の流しで過ごし、
春先に暖かくなった頃にいなくなった。
 

 

………我が家の周りにはカエルが
けっこう数多くいるようだ。

以前は庭の池に水が張ってあったので
その池には少し大きめのカエルも
しょっちゅう見かけたものだった。

今は
夏になると
台所の外にある洗濯機の上に
小さな2センチ弱のアマガエルが
時々ちょこんととまっていたりする。
 

 

若い頃、
カエルを見ながら色々な事を考えさせられ
ていた時期があった。
 

カエルに人間と同じ意識や
思考能力があったらどうだろう?

自分が生きている周囲の地形や
近くにいるはずの蛇やカラスやネズミや
イタチなどの動物の事や
やがて来るはずの冬の事なんかを
考えたり心配したりするに違いない。
 

………そんな事があるはずはないけれど、
もし、そういうカエルがいたら
怖くて生きてはいられないだろう。
 

そして
自分はそういうカエルのような存在なのだ
………と実感した。
 

………その実感は今でも変わらない。
 

「人間は考える葦である」という
パスカルの言葉が心に沁みる。

人間はひとくきの葦にすぎない。

 

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