「ペール・ギュント」から「朝の情景」(グリーグ)
「ペール・ギュント」、戯曲と音楽のあいだ
本題に入る前に
目次
…第1章…
個人が本当の意味での主人公となる
日本のネクストソサエティ
へのリンク
リンク切れ通知(別ページ)
3年後の自分に向かって
………
生活保護受給者の立場から
………
日本の未来に対する
私の基本的な姿勢
…第1章…
個人が本当の意味での主人公となる
日本のネクストソサエティ
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本題に入る前に
3年後の自分に向かって
今から3年半ほど前、2017年2月25日、
以前のブログにこんな記事をアップした
事がある。
あれを書いた頃の私は
日々の生活に追われていた。
最低限、月に10万円程度の収入がなければ
生きていく事ができない状況の中で
必死の思いで行ったのが
あの提案だった。
「貧すれば鈍する」という言葉があるけれど
賢い人でも貧すればバカになる、………
と言うのだから
私のような人間が貧すれば
ああいうバカな事を考え付くのは当然の事
だった、と思う。
………それなら今はどうなのか? ………
と言えば、………
今の私には日の丸親方という心強い味方が
付いて下さっている。
……だから「貧すれば鈍する」というような
心理状態に陥る心配はない。
それは確かにものすごく重大な変化だ。
しかし、それだけの事だ。
それだけの事にすぎない、とも言える。
どこまで行っても私は私なのだから、……。
あの頃とは別な意味の愚かさが私を襲う
可能性は常に存在する。
しかしながら私の未来にも僅かな希望が
ない訳ではない。
人は誰もが未来に向って歩み続ける生き物
であると同時に
過去・現在・未来という時間軸に沿って
生きていかねばならない存在でもある。
過去があったから現在があるのであり、
現在があるから未来がある。
過去の自分の行動が
現在の自分の運命を決定しているように
現在の自分の在り方が未来の私の運命を
定める。
その意味では
あの頃はあの頃なりに
自分としては精一杯頑張っていたんだなあ
………と思う。
あの頃の記事を読み返してみて
改めてそう思ったりする。
あの頃のバカな自分がいたたからこそ
それよりは少しはましかもしれない
今の自分がいるんだなあ、………………
………とも思う。
日の丸親方の真の価値に対する重い認識
を含めて、
あの頃のバカな体験こそが
現在の自分が実感している本当の知識や
理解の足場になっているんだなあ、………
………と思ったりもする。
………ところで、
ブログというツールは
様々な目的の為に使われているのだけれど、
それらの目的の中で
今の私が強く感じているのは日記として
およびセルフカウンセリングの手段として
ブログが持っている意味と価値の大きさだ。
………だから私は今、
この記事シリーズを書こうと思っている。
3年後の自分に向かって、
3年後の自分の為に、
現在の自分が出来る限りの力を振り絞って
理想に満ち溢れた未来の日本の姿に関する
シナリオを描いてみたい
と思っている。
バカは承知の上で、
3年後の世界および日本という空間に、
地球と名づけられたこの星に、
私という人間がまだ生きていたとしたら
このシナリオについて
その時の自分は何を感ずるだろう………?
………そんな事を楽しみにしながら
この記事シリーズを書いてみたいと思う。
本題に入る前に
生活保護受給者の立場から
今は2020年6月1日(月)の午前9時45分。
この記事シリーズの目的である
自分独自の日本の未来に対するシナリオ
の基本構造に関する全体的なイメージ
は
私の心の中で既に完成している。
後は完成している全体的なイメージを
手がかりとして
具体的で詳細な細部の説明を加えていけば
よいところまで来ている。
けれども、
あと一歩のところで作業を開始する気力が
どうしても出てこない。
その原因を見出して問題を解決する為に
様々な角度から
自分自身の心の状態を探ってみて
見えてきた事が一つある。
自分が生活保護受給者である事に対する
私の後ろめたい思いだ。
例えば
上記したシナリオを描く必要から
私達日本人が護らなければならないもの
自由…人権…平和…民主主義
自分自身
家族…地域社会…日本という国
…
………等という大上段に振りかぶった議論
を始めようとしていた私の心に
ふと浮かんだのは
生活保護受給者の自分に
そんな議論を展開する資格があるのか?
………
そんな者の言う事をまともに聴こうとする
人がいるのか?
………という疑念だった。
………最近の私は
かなり生活に余裕が出てきている。
相変わらず風呂には入っていないし
車を持てないので移動手段は自転車だけ
なのだけれど、
そういう日常にも慣れて
別に何の不自由も感じない。
腎臓結石が出来ていると分かった事や
あれだけの激しい腹痛を体験した事等から
現在はお粥と掛けそばとヨーグルトと野菜
だけの食生活を続けているのだけれど、
慣れると以前の食事に戻る気が起きない。
母は胃瘻装着の手術を受けた後の13年間
口からの食事なしで生活を続けていた。
その事を思えば現在の私は贅沢極まりない
食生活をしている事になるし、
何よりも食費が今までの1/3になった事が
嬉しくて有難い。
…………………………………………………
………というような次第で、
現在の私は生活にかなりの余裕を
感じている。
貯金も20万円程度までになっている。
但し、
法律上、生活保護受給者は
受給月額の6倍を越える貯金をしては
ならないので
私の場合、6万4千円×6=38万4千円
以上の貯金はできない。
………そんな私にも
国は今回の定額給付金を支給して下さる
という。
それを受け取れば貯金は一挙に30万円を
越える事になる。
私は以前から自転車以上の移動手段である
買い物用のバイクが欲しくて
その為に貯金を続けてきたし、
昔の自動車免許を持っているので
大型の自動二輪にも乗れるし、
250cc車までなら
任意保険を含めた維持費は50cc車と
さほど変わらないので
原付一種ではないこんなバイクも
こんなスクーターも買おうと思えば
買えない事はない。
特に
250ccバイクは高速道路を走れるので
父母の遺骨を埋めた吉野野の山中まで
2時間弱で行く事ができるようになるのが
魅力なのだけれど、………
一方で
普通に暮らしている普通の人々の生活は
どうなのだろう? ………と考える。
現在の私は
全ての日本国民に与えられている
基本的な人権としての生活保護を受給
している。
しかし、
普通に暮らしている普通の人々は
★こういう義務★を
当たり前の事として果たしている人々
なのだ。
………それらの義務を果たしていない
私の現状を思うと
250ccバイク購入の件は
余りにも趣味性が高すぎて
現在の自分には過ぎた贅沢だ、としか
考えられなくなるし、
先ほど大上段にふりかざそうとしていた
議論も
自分が置かれた立場を無視した
傲慢な自己主張の為の手段としか
感じられなくなって
気力が萎え果ててしまう。
…………………………………………………
………以上、
ここまで述べてきた問題について
昨夜からの私は悩み考え続けていたのだ
けれど、………
答えは今朝、
目覚めた時に心に浮かんできた。
全ては
これから創り出そうとしている作品
つまり、
自分独自の日本の未来に対するシナリオ
の出来次第なのだ、
………と今の私は考えている。
そのシナリオが本物であれば、
それを描き出した人間が生活保護受給者
であるかどうかは問題ではないはずだ。
そのシナリオが本物で
実際に日本社会の未来を切り開くだけの力
を持っているなら、
そのシナリオの製作に向っている
現在の私の作業は本物の収入に結びつく
現実の仕事へと変化していくはず
なのだから、
今現在の私が受給している生活保護費は
その変化が現実に生じるまでの間
日本国から融資を受ける借金、
つまり毎日の労働によって日本国に
税金を納めている人々からの融資であり
借金、のようなものなのだ、
………と考えて
借金返済へ向って
本物のシナリオを創り出す努力を続ける
のが
これからの自分の正しい、………と言うか
在るべき生活なのだ、………と
今の私は考えている。
そのシナリオが完成するまでの間
このブログを含めた
「souzou.net」というサイトは
検索エンジンの検索結果への登録拒否設定
を行った工事現場状態にしておこう
と思う。
今の私にとって生活保護は
高層建築の工事現場に欠かせない
タワークレーンのようなものだ。
工事が完了したらタワークレーンは
外さなければならない。
その日が本当に来る事を願いながら
これからも
この記事シリーズを書き続けていこう
と思う。
本題に入る前に
日本の未来に対する
私の基本的な姿勢
次回から始める予定の本題
日本の未来に対する
独自のシナリオ草案(概論)
………を
私は以下のような議論から開始する
つもりだ。
今現在の
私達日本人が護らなければならないもの
自由…人権…平和…民主主義
自分自身
家族…地域社会…日本という国
………しかし、
それにしても、………
上記の議論で挙げている
自由…人権…平和…民主主義
自分自身
家族…地域社会…日本という国
………を私達は
何から、誰から、
………
つまり、どのような敵から
護らなければならないのだろう?
その意味で
現在の私が想定している
最も分かりやすい仮想敵は
中国共産党及び国内の親中派
及びグローバリストと呼ばれる人々
及び財政均衡論を唱える財務省
だ。
こういう立場や議論は
インターネット上では極めて普通の
ありがちな立場であり議論なのだけれど、
それでも私は
これから当分の間、
中国共産党及び国内の親中派
及びグローバリストと呼ばれる人々
及び財政均衡論を唱える財務省
の危険性を読者の方々に伝える為の、
敢えて申し上げるなら
可能な限り面白く分かりやすく
楽しい読み物としての記事
を書き続けていきたいと思う。
但し
決して単なる床屋政談や井戸端会議なんか
では終わらせない
目の前の現実生活に対する強い実感を伴う
真実の物語としての記事を書いていきたい
と思う。
今までの自分が生きて来た
全ての体験を懸けて。
………
日本という国の歴史・文化・人々の生活
その他全てを敬愛して止まない
一人の日本人として。
これからの私の未来に対する挑戦の全ては
ここからしか始まらない、
と思い定めている。