コラム

 

 


「オカダヤ」の思い出

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希望に満ちて新しい世界に挑戦している
多くの人々の姿。
………
発展していく場所の空気や気配。

 

ユーチューブに動画をアップしている
多数のユーチューバーを見ていると

50年以上前の日本の事、………というか
53年前に自分が生きていた世界の事を思い出す。
 

当時の私は24歳、
京都の美術大学を卒業して
地元の或る会社に勤め始めたばかりだった。
 

………
会社の名前は「オカダヤ」。

年の売り上げは約100億円、
従業員は500人程度。

当時の日本各地に誕生し育ちつつあった
地方スーパーの典型だった。
 

………
この会社が
34年後に「イオン」と名乗るところまで成長する
とは思ってもいなかった。

しかし、
そうなる気配は既に会社の至るところに
漲っていた。
 

いや、
別に「オカダヤ」に限らず
そのような企業は日本全国に数多く存在
していたのだけれど、………

それにしても「オカダヤ」は末端の店員に
至るまで気力と希望と自信に満ち溢れて
いたように思う。
 

………
そのような気風を作り上げていたのは
この人小嶋千鶴子氏だった。
 

………
当時の私は小嶋千鶴子氏直属の部下
だった。
 

こんな事件が生じてしまった為に
小嶋氏との縁は僅か9ヶ月のものでしかない。

しかし、

私の人生にとって、
その9ヶ月が決定的な意味を持っていた
のだ、という事を
今になって痛感している。
 

小嶋千鶴子氏直属の部下としての
「オカダヤ」での体験がなければ
現在の私が日本に対して抱いている
途方もない計画を着想する事はなかった
に違いない。
 

 

…………………………………………………
………以上、

ここまで書いてきたら、
何故か、
これ以上書く事ができなくなってきた。

資料は数多く準備してあるのだが、………