39歳で結婚した私の妹は40歳で男の子を産んだ。
製造責任者は仕事に集中していたので甥は赤ん坊から幼稚園まで我が家で育ったようなものだった。
その後、反抗期に始まる諸々の紆余曲折を経て一般的な意味での社会適応を果たし、父親の零細企業を継ぐ為の修行を積みつつある24歳の現在に到るまでの彼を、叔父として身近に観察し続けて現在に到っている。
おかげで私は人間の意識の芽生えから一般的社会人に到るまでの心の発達の様子を極く近い立場から客観的に「観察」する機会に恵まれた。
子供は心に生ずる感情や情動をストレートに発散する。そのストレートさは成長と共に失われ、成長に伴って獲得される様々な社会的規範によって抑制された大人としての心の動きに覆い尽されていく。その様子は或る意味で寂しいものでもあり、別の意味では好もしく心強いものとしても感じられるのだが、………
一般的な社会人として、それなりの将来が見えてきた現在の甥を眺めながら、それなりに激しく危険だった彼の社会不適応の時代を懐かしく思い出し、もう少し過激なものであってもよかったのではないか………と感じるのは贅沢なのだろうか?
現在の彼に必要なのは一般的社会人としての抑制を否定し拒否するナマの原初的な心情のような気がする。
個人の心の底には決してストレートに発散できないナマのマイナス感情や情動が秘められている。そのナマのマイナス感情や情動こそが個人の器を規定する自我の活動の出発点だと言える。その意味で現在の甥は余りにも小さく纏まった普通の人間になりつつある、………ような気がしてならない。
器の大小は人の幸せには関係ないし人間としての価値にも関係しない。神という存在の前に全ての人間は平等だと私は考えている。………しかし、やっぱり器が大きく複雑な人間は見ていて面白くて楽しい。少なくとも現在の私にとって一般的な常識に固まった器の小さい人間が面白くない事は確かである。
……………………今週面白かった動画…………………
太極拳とはどんな拳法なのか
24式太極拳をつかう
なぜ太極拳が武術として通じるか
発勁
なんか………今後のトレードの参考に………なりそうな気がする。