今回の記事でお話しようと考えている事柄とは少し意味が異なるのだが、
前置きとしてなら適当だと思われるお話から始めたい。
前回の記事で私は
現在の惨憺たる状況から抜け出して
「創造ネット計画」を現在の日本社会に於いて現実化していく
具体的で詳細な計画とか企画
を
分かりやすく面白い記事として
皆さん及び「彼女」に提供し続ける自信を持っている。
………と申し上げ、
そういう自信の最も底の部分にある根拠として
昨年末からの命を賭けた毎日の中で
自分自身を始めとした
人間の最も深い部分に関する様々な発見と
それを手がかりとして獲得した人間社会に対する或る種の洞察
を掲げた訳なのだが、
上記した自信の根拠を出発点とした「創造ネット計画」現実化計画について、
もう少し具体的にお話ししようと思う。
現実化する場合、
当初に於ける「創造ネット計画」の一つの柱は
当地方で事業を営んでいる中小企業のインターネット活動を個々に提案し、
更なる成長を支援する
WEB事業に求めるべきだ、と私は考えているのだが、………。
既に皆さんも御存知のように
2013年の4月から2015年の4月まで、当地方の自治会長を務め
2015年の4月から昨年の4月までは自治会顧問を務めた経験がある。
その当時の私は
昨年末からの命を賭けた厳しい体験などは思いもよらない
子供のような世間知らずの老人だったけれど、
社会とか人間の本質に関する
高度な知識だけは人一倍持っていて、そこの部分から
地域の人々を「指導」しようと様々な努力を重ね続けていた。
………結果は徹底的な失敗だった。
理屈だけは振り回す事ができても、
実務能力がゼロに限りなく近い自治会長なんて
地域の人々とって迷惑な存在以外の何物でもなかった。
………その間の私の苦しみの一つ一つが
今現在の私の地域行政に対する自信につながっている。
地域の活性化に関する様々なアイデアを
どの部分から、どのように働きかけたら、
地域の人々の同意を得て協力して頂けるのか?
現在の私は手に取るように見通す事ができる。
尚、
これは地域行政に対する自信とは別の面の自信になるのだけれど、
突然に生じた事情によって市内全域の中小企業から発せられている
就職情報を詳細に調べ尽くして、
これは、と思われる企業の経営者の方々と面談を繰り返した体験も大きい。
あの方々が如何に真剣に各々の事業活動と取り組んでいるかについては
厳しい面接を通じて徹底的に思い知らされたのだから、………。
………というような次第で、
もしも、今回の募集に対する投資によって
例え1ヶ月間であっても
「創造ネット計画」に関する活動が持続できるなら
この件についての詳細なプランを面白い記事として
皆さんや「彼女」に提示し続ける自信を私が持っている事は言うまでもない。
………………………………………………………
………以上、
ここまでが冒頭で申し上げた前書きになる。
この記事を書く事によって皆さんや「彼女」にお伝えしたいのは
ここまでお話してきた「創造ネット計画」の現実化プランの先の先
奥の奥に存在している「投資の本質としての、個人に於ける主体的判断」という概念だ。
この概念を明確に把握している人々を如何にして増やして行く事が出来るか。
………それが「創造ネット計画」の本質的な課題なのだから、………。
非常に難しく見える表現になってしまって恐縮だけれど、
この概念を実感として把握する事は、そんなに難しい問題ではない。
ヒント……と言うか、最良のお手本は前回の序文の末尾でお話した
太平洋戦争に於ける日本側のポツダム宣言受諾(日本の降伏)に際してお見せになった昭和天皇の個人的な判断力と決断力にある。
………と、
こう申し上げたら、
ますます分かりにくい難しい概念(考え方)に見えてしまうかもしれないので、
皆さんが御存知の或る方に御登場願い、
その方の行動を実例として「投資の本質としての、個人に於ける主体的判断」という概念を
面白く分かりやすい記事として説明させて頂こうと思う。
………のだが、
今は4月11日(火)の午前6時47分。
一晩中パソコンの画面と格闘して疲れてしまったので
とりあえず、ここまでの文章をアップして一休みさせて頂きたい。
昨夕の電話連絡によって
最近の私が或る意味では最も期待し、別の意味では最も恐れていた
クレジット会社からの督促は小康状態に入った事だし、
もしも、他の借金取りからの督促などが入ってきたとしても
その時はその時の事だ、と覚悟して自殺については考えずに
今日これからの日中は
万年床で寝ながら記事の今後の展開などを考えて過ごし
夕方から執筆にとりかかろうと思う。
例えば「NTT」とか「ASAHIネット」とか言った
意外な伏兵の襲撃によって、
意外にあっけなく今日中に私の命運が尽きたとしても
それはそれとして仕方のない事だ。
このブログを書き残す事に命を賭けた私としては
ここまで、記事の全体を
それなりに意味のある形に纏める事ができた事を感謝しながら
逝く他はないと思っている。